第47~50回 祝家荘を滅ぼす

祝家荘の戦いは、読者を挫折させるハードル。
心して、退屈にならないように、話をしのぎたい。
まず、孫立(病尉遅)が連れてくる人名の数を減らすことが必要。のみならず、ストーリーの順序の整理が大切。

宋江は、祝家荘と対立関係にある石秀が、梁山泊に転がりこんできたことを利用して、祝家荘を討つことにする。呉用も同調してくれる。しかし祝家荘は、人材に富み(扈三娘とか)、豊かな拠点なので苦戦する。
勝因は、病尉遅の孫立。
祝家荘の武術教師と、旧知である。祝家荘のなかに入りこんで、梁山泊に内応する。

なぜ孫立が、梁山泊の味方をするか。
「石秀を助けるため」に理由を求めたらいいだろう。

水滸伝』は、第四十七回・四十八回と、梁山泊と祝家荘の戦いを描く。しかし、第四十九回に、いきなり時空が歪んで、話が分岐する。
いわば、孫立列伝が始まる。
しかし、せっかく盛り上がった祝家荘との戦いを、途中でぶった切られるのは、あまり愉快ではない。だからぼくは、石秀列伝に繋ぎたい。石秀と孫立は、旧知だという。石秀列伝と、孫立列伝を、原典よりも、べったり接着する。

◆列伝を繋ぐオリジナルの話

石秀は、病関索の妻を殺して、薊州を出る(原典の第四十六回末)
(時遷は、まだ付いてこなくてもいいな)
原典では、陸路をとり、すぐに祝家荘に到着する。しかしぼくの『水滸伝』では、逃亡のために海に漕ぎ足し、山東半島の登州に流れつく。
 ※孫立は登州の役人だから、石秀はここにくる必要がある

そのころ、登州の地では、虎による被害がひどいという。ひとを助けずにはいられない石秀は、病関索とともに虎の退治をする。すると、同じ目標を持っている、解氏の兄弟と知りあう。

ここで、解氏は虎を仕留める(第四十九回初にワープ)

虎の死骸が、他人の家に落ちてしまったから、解氏は虎の死骸をもらい受けにゆく。石秀・病関索は、外で解氏兄弟を見送る。しかし解氏はだまされて、捕らわれてしまう(第四十九回)
石秀が、解氏の兄弟を救うために、居酒屋で息巻いていると、母大虫の耳にとまるとか。原典で、楽和が果たした役割の一部を、石秀がになう。
母大虫は、武官である孫立(病尉遅)を説得して、解氏の救出を行いたい。しかし病尉遅は、自分の立場を重視して、納得しない(原典に同じ)。しかし石秀が説得に加わって、ついに病尉遅に承諾させる(原典と違う)
石秀と病関索は、解氏の脱獄を手伝う(原典と違う)

おなじ官獄に、時遷がいて、石秀についてゆく(第四十六回)

登州にいられなくなった病尉遅は、心あたりのある官僚仲間のところに、匿ってもらおうとする。石秀は、それは迷惑をかけられないから、孫立と別れる。そうして祝家荘にゆき、、と原典に合流する。

このあと病尉遅は、官僚仲間から、「反逆者など、受け入れられない」と断られ、仕方なく旅をした。石秀を頼るでもなく、梁山泊を頼るでもなく、うろうろしているうちに、、梁山泊と祝家荘の戦いを知る。
「祝家荘に入りこんで、梁山泊に恩を売るチャンス。しかも、石秀を助けてやるチャンスでもある」
というわけで、孫立が石秀に再び合流する(第四十九回)
原典では、ひっこり病尉遅が、石秀が梁山泊のあたり?で営んでいる居酒屋に姿を現す。必然性のなさというか、編者の恣意性という意味では、だいたい同じぐらいだろう。

まとめると、

石秀が病関索をたすけ(浮気妻を殺し)、石秀が病尉遅の助け心を焚きつけ(解氏を脱獄させ)、病尉遅が石秀をたすけ(祝家荘を攻め落とす)、まとめて梁山泊に入る。
列伝としては、病尉遅が石秀の危機に駆けつけて終わりだろう。石秀は、祝家荘とトラブルを抱える。梁山泊と祝家荘を開戦させたものの、梁山泊は勝てない。だから晁蓋は、石秀との縁を切ろうとする……といった場面。

◆本紀の流れはどうなるか

石秀が、とりあえず梁山泊に駆けこむ。
宋江呉用が、これを利用して祝家荘と開戦するが、扈三娘に王英を捕らえられるなど、苦戦する。石秀は、晁蓋らと折り合いが悪く、居場所がどこにもなくなるそうになる。
病尉遅が現れて、梁山泊を勝利に導く。
というわけで、祝家荘との戦いのテンポを途切れさせずにすむ。