李逵と泰山、晁蓋と宋王朝の関係

大塚秀高「『水滸伝』を読む」(中国の英雄豪傑を読む_あじあブックス)より、気になった話を、言い換えながら抜粋します。

◆『宣和遺事』

1.汴京の艮岳を飾るため、花石綱を運ぶとき、12人のうちの1人の楊志が、刀を売ろうとして人を殺して、流刑となる。仲間に助けられる。

2.晁蓋ら8人が、蔡太師の生辰綱をうばい、宋江に逃がしてもらう。楊志らと義兄弟になり、梁山泊に落草する。

3.宋江が、杜千らに梁山泊ゆきを勧める。

4.閻婆惜を殺して、九天玄女廟ににげこんだ宋江が、36人の姓名を書いた「天書」を入手する。

5.李逵をつれて梁山泊にいった宋江が、すでに死んだ晁蓋に替わって、首領に。

6.魯智深らが梁山泊に入り、36人が揃う。

7.晁蓋の遺志にしたが、東岳泰山に願ほどきにゆく。

8.朝廷が宋江を帰順させる。宋江は方臘を討伐して、節度使となる。


『宣和遺事』の『水滸伝』との差異は、
 ○林冲魯智深・武松・李逵などが活躍する話がない
  花和尚・武行者の小説があったが、取りこまれていない
 ○公孫勝と、征遼の話がない
 ○晁蓋の死の状況が異なる
 ○泰山還願が強調される

◆『水滸伝』ができるまで

宮崎市定は、加上説で、『水滸伝』の成長を説明した
『宣和遺事』に追記してゆく。史進は新しく、王進はもっと新しい
公孫勝の征遼は、諸葛亮の南征と同じ;魔道師+活躍の場がセット

宋江李逵も色が黒く、「瘟神(疫病神)」である
病気を流行らせる李逵と、病気を治療する宋江は、一対の瘟神の機能
水滸伝』の冒頭で、疫病を退散させる「羅天大ショウ」を行う。宋江は、第七十一回で、羅天を祭って、わるい疫病神から、よい疫病神に変質する

宋江と泰山をめぐる謎

李逵が頭が上がらないのは、宋江を除けば、戴宗と燕青

戴宗は、泰安州嶽廟で出家して、死体に肉付けして塑像が神となる
「神行太保」の「太保」とは、泰山の神・泰山府君に使える下級神

燕青は、泰山の嶽神天斉聖帝(泰山府君)の降誕日に、相撲をする
李逵は、燕青を通して、泰山府君に統制されていた

泰山が重要になるのは、北宋三代の真宗が、泰山の封禅を望んだから
真宗は「天書」を偽装して、みずからの地位を正当化した

◆宋代の歴史を暗喩した『水滸伝

太宗から太祖への不当な皇位継承晁蓋から宋江首領が移行
太宗の遺志をうけて真宗が封禅 = 晁蓋の遺志を受け、宋江が泰山還願
真宗に封禅を勧めた王欽若 = 宋江に泰山還願を勧めた呉用
太后が太宗に皇位を移す = 九天玄女が宋江首領に任ずる


実在の宋江(ひとりは将軍、ひとりは反逆者)は、「宋」姓なので、宋王朝を投影するのに、ちょうどいい。宋の天子の姓である「趙」を、ろこつに反映するのはまずいので、同音の「晁」姓の人物として、晁蓋を設定したと。


ぼくは思います。
とくに宋代に歴史を引き写して、「分かる人には分かる」宋代の皇帝の迷走ぶりを『水滸伝』で皮肉っているという話が、とくに面白い。しかし、皇位の順当でない継承とか、宗教的な権威づけとか、女性権力の介在とか、わりと普遍的な現象。宋代に比定するだけでなく、人類学的な物語として、『水滸伝』を読んだほうが、展望が広がっておもしろいかも。