公孫勝はなぜ非協力的か

◆『水滸伝』編者が便利に使う公孫勝

宮崎市定水滸伝』によると、公孫勝の物語の成立はおそくて、『水滸伝』がまとめられるときに、『水滸伝』の編者によって加えられたと推測される。

遼を滅ぼすという、荒唐無稽だけど、民族的な自尊心をくすぐる話は、公孫勝というキャラがいて、はじめて可能になる。

むしろ、公孫勝を活躍させ、かつ退場させるために、遼を滅ぼす話がつくられたのではないか、と宮崎市定が推測する。すなわち、公孫勝が退場することで、梁山泊は魔術がつかえるひとがいなくなり、方臘の討伐によって壊滅しても仕方がない。物語は終わりに向かっていくよ、と。


ぼくは、『水滸伝』の編者が、ひとつなぎの物語をつくるときに、公孫勝というキャラを便利につかった例を、もうひとつ見つけた。

第四十四回で、戴宗は、故郷に帰ってしまった公孫勝を迎えにいくため、北方にゆく。このとき、数々の好漢をひっかけてくる。楊林・鄧飛ら、飲馬川のひとと出会って、梁山泊に送りこむ。石崇・楊雄・時遷が、梁山泊と関係をもつ接点をつくる。

108人という義務を達成するためには、梁山泊がなるべく外界との接点を持たなければならない。そのためには、足の速い戴宗が、あちこち出向くのが手っ取り早い(足っ取り早い)。わざわざ戴宗が出かける理由として、公孫勝はいい。

 

公孫勝の妖術について

公孫勝は、梁山泊のなかで席次が7位である。たかい。
たかい理由として、妖術のすごさも、さることながら、生辰綱のときからのスタートメンバーという要素がつよいと思う。また、上記のように、『水滸伝』の編者をおおいに救ったという功績もあるから、席次があがるはずだ。

ただし、いくつか不自然な点がある。

・なぜ生辰綱のときは、妖術をつかわないのか(高島俊男氏がつっこんでた)

・なぜ梁山泊から距離をとるくらいなら、生辰綱に協力したか


など、いくつか、気持ち悪い。

ぼくが整合的な説明を(『水滸伝』の世界のなかで)取ろうとするなら、生辰綱のときは、妖術の修行の途中だった。のちに薊州に帰って、修行の仕上げを行っているように、まだ実戦で使えるレベルじゃなかったと。

生辰綱のときは、実戦に妖術を使えない。しかし、なんらかの気持ちで晁蓋には共感しており、一味に加わったと。そのあと梁山泊から去るのは、修行するため。ただし、武術の修行について理解のある彼らでも、妖術の修行については理解がないから、むりに連れ戻そうとする。
そういう理解のない、にぶいやつらです。梁山泊というのは。

公孫勝をめぐる『水滸伝』のおもしろさは、妖術が効くことではない。妖術が打ち破られるとき、物語がおもしろくなる。公孫勝が高廉をやぶったり、樊瑞をしりぞけたり、喬道清をやぶったり。
やぶられた側の目線にたつと、リアリティをおびる。

武術でもなんでもいいけど、ひとつの分野をきわめるために努力したもの同士が、成果を競いあって、優劣がつく。武術が劣るときは、馬上で切り捨てられておわりだけど、妖術が劣るときは、カラクリがバレて、紙でできた兵が、パラパラと宙を舞ったりとか、こちらのほうが「絵になる」と思う。

公孫勝を、初めからレベル108ではなく、成長するキャラにしたい。公孫勝の妖術が敗れるシーンがあってもいいだろう。

ひとつの分野を極めることに対する、登場人物たちの思い入れを語らせたら、物語として厚みがでる。学問を究めることに関する話に通じる。


◆なぜ公孫勝は、梁山泊に非協力的か

公孫勝の妖術は万能すぎて、話をつまらなくするから、登場する場所を選ぶ。という物語的な要請は、各所で言われていることです。
しかし、ぼくは、公孫勝が非協力的な理由は、それだけではないと思う。


前の記事に書きましたが、『水滸伝』には、対立軸があると思う。

 北と西、華山・太行山系、盧俊義を頂点とした、渇いて秩序志向の集団
 東と南、泰山・梁山泊系、宋江を中心とした、しめった無秩序な集団


公孫勝の出身地も、修行する場所も、いずれも北の果て。

いちおう梁山泊のなかに、席次が確保されているものの、じめじめしたアウトローを好む人物に思えない。むしろ、渇いた山のなかで、孤独に道を追い求めるひと。ひらたくいえば、「梁山泊の空気が、肌にあわない」のが公孫勝だろう。

だから、隙あらば抜けだそうとする。かってに帰郷するのは、公孫勝ぐらい。『水滸伝』の結末にむけて、最初に脱退するのも、公孫勝である。これは、公孫勝に感情移入するならば、梁山泊は、居心地が悪かった」ということだろう。


万能の妖術師としてでなく、妖術において成長するキャラ、梁山泊のメンバーとの折り合いの悪さに困っているキャラ、として公孫勝を造型したい。