1~5回より、幽州の出来事

三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画
という遊びをしています。『水滸伝』の駒田信二訳を見ながら、漢末・三国に比定していく作業をします。『漢末水滸伝』というタイトルを考えています。
話の大筋としては、水滸伝晁蓋にあたる袁紹が、『水滸伝』の悪役の筆頭である高俅を斬っておしまいとなります。史料に本格的に登場する前の、後漢末の群雄たちの前史(青年時代)を描くことにします。

こういう背骨だけでも、きっちり作っておかないと、あとで収集がつかなくなる。

水滸伝』では、悪役の高俅が最後まで生き残ってしまい、主役の宋江を毒殺するという、後味のわるい結末です。しかし、ぼくの『漢末水滸伝』は、袁紹張譲をぶったぎるという、史実に沿いながら、スカッとする結末にしたいと思います。
水滸伝』方臘の乱は、張角黄巾の乱に置き換えます。『水滸伝』で方臘は、梁山泊を壊滅させるような強敵です。しかし『漢末水滸伝』で、主要な登場人物を殺してしまったら、三国時代に支障がでるので、黄巾の影響は調節するつもりです。

全体像を描けたところで、『水滸伝』120回本に拠りながら、三国志ものへの置き換えを計画してきます。思いつきで書いているので、設定は、コロコロ変わります。というか、この過程で設定をつくっていくので、コロコロ変わらなければ、これをやる意味がありません。

第1回 梁冀が封印を解く

後漢の順帝期から、話を始める。

建康元年正月辛丑,詔曰:「隴西、漢陽、張掖、北地、武威、武都,自去年九月已來,地百八十震,山谷坼裂,壞敗城寺,殺害民庶。夷狄叛逆,賦役重數,內外怨曠,惟咎嘆息。其遣光祿大夫案行,宣暢恩澤,惠此下民,勿為煩擾。」(『後漢書』順帝紀

西暦にして144年、順帝の末年、涼州地震があって、光禄大夫を派遣して、救済にいかせる。

144年というのは、後漢末の群雄たちが、そろそろ生まれるべき時期にあたる。もしも袁紹を「曹操よりも10歳上」として設定するなら、袁紹の生年は145年になるから、ちょうどいい。
なぜ順帝期から語り起こすかといえば、水滸伝』が、本編がはじまる約40年前、北宋の仁宗の時代から語り起こされるからだ。それを踏まえています。

天災を心配した順帝は、大将軍の梁冀を使者に立てて、「南華老仙を訪ねて、祈祷をしてもらえ」という。

水滸伝』では、仁宗が洪太尉に、「張真人を訪ねて、祈祷してもらえ」という。
梁冀は、3年前の141年に、父の死を受けて大将軍になっている。天子が、信頼すべき最高位のひとに祈祷を依頼する。というかたちで、原典を踏まえている。
南華老仙とは、張角に薬草をさずけるひと。荘子の生まれ変わりらしい。ともあれ、『水滸伝』の仙人である張真人は、漢末の張魯さんの末裔なので、ここで出すことができない。かわりに南華老仙に出てもらった。あとで話にからませよう。

梁冀は、いやいやながら、道教の聖なる山にいく。
伏魔之殿には、「遇梁而開」という予言が書かれている。梁冀は、権力や武力を背景にして、むりに封印を解かせてしまう。その結果、108の魔星が飛び散ってしまう。漢が滅びる遠因をつくったのは、梁冀さんですよ、あーあ。。ということで、梁冀は、自分のやったことの重大さに気づかずに洛陽に帰る。

史実においても、漢が滅びる遠因をつくったのは、梁冀だといっても、まあ問題ではないはず。「封印を解くな」と止める道人たちを、むりに振り切ってしまう傲慢さを描くには、梁冀というキャラが必要だと判断しました。

 

第2回 盧植が、趙雲公孫瓚を教育

ときは流れて、霊帝の時代。張譲という、蹴鞠だけがうまい、しょーもない宦官がいました。それが霊帝の目にとまって、出世しました。

水滸伝』高俅を、張譲とする。張譲を、ねっとりとした悪役にすることで、この物語は背骨が強くなる。『蒼天航路』で、霊帝が蹴鞠に興味を示していた。霊帝が、蹴鞠をおもしろがっても、イメージが狂うことはないはず。
史実から、張譲のエピソードを持ってきて、悪役ぶりを強化してもいい。『三国志平話』や『三国演義』から、張譲の悪さを補強してもいい。とにかく、王朝が腐敗している、ということを表現するための装置なのだから。
孟達の父親の孟他が、張譲にワイロを送り、、というのも、使いたい。


張譲との関係が悪化して、朝廷にいたくないのが、盧植さん。

熹平四年,九江蠻反,四府選植才兼文武,拜九江太守,蠻寇賓服。以疾去官。作《尚書章句》、《三禮解詁》。(盧植伝)

175年、九江を平定すると、盧植は病気になったといって、官職を去る。このように去った理由を、張譲とのトラブルにしよう。

175年は、劉備(161年生まれ)が15歳になって学問を志し(←定型文)、盧植に学問を習うとき。つまり盧植は、このタイミングで帰郷するのが、史実に沿った展開となる。
水滸伝』王進が、盧植の役割を果たす。王進は延安府に向かうが、方角としては北に逃れている。盧植が幽州に帰るというイメージに合う。
水滸伝』の王進は、行方不明になる。『北方水滸伝』では、子午山に籠もって、不良少年の教育をやる。『漢末水滸伝』では、盧植は史実どおりに学問に打ちこみ、黄巾の乱では将軍として活躍してもらう。細部までは一致しないけれど、史実を優先する。というのが基本スタンスです。

盧植は、洛陽の政変を嫌った。官邸で養っていた母を連れ出し、帰郷する。その途中で、母が体調を崩して、常山郡の真定県で泊めてもらう。槍の稽古をしていた少年に、「下手だな」という。これがのちの趙雲

水滸伝史進は、趙雲とする。
趙雲は、きっとまだ、10歳に満たない子供だ。だから、武術に秀でた盧植でも、教育できる。盧植は、文武両道の「儒将」といわれるから、槍の手ほどきぐらいできるだろう。さっき九江で平定戦をやったばかりだから、気持ちが戦闘モードであり、口走ったのだ。

盧植は、少年の趙雲に、18般の武芸(の基礎)を教えた。

盧植は、故郷の幽州に辿りつく。すると、公孫瓚が入門してくる。公孫瓚は、太守の娘婿になっており、その援助をもらって、盧植に学問を習いにきた。

公孫瓚字伯珪,遼西令支人也。為郡門下書佐。有姿儀,大音聲,侯太守器之,以女妻焉,遣詣涿郡盧植讀經。後複為郡吏。(公孫瓚伝)

公孫瓚が、盧植から学問と、武芸(の心得)をならう。

劉備をここで登場させなければならん。しかし、吉川英治宮本武蔵』方式で、接近するけれども、深く関与しない、という扱いがいい。劉備の容貌について描写すれば、読者は絶対にきづく。公孫瓚が、武術を学ぶときの練習台とかw

そのころ公孫瓚は、在地の盗賊たちのウワサをきく。

水滸伝史進は、王進から武芸を習う、王進と別れる(王進は物語から消滅)、父を亡くす、少華山の盗賊のウワサを李立から聞く、というエピソードを踏む。少華山の盗賊のウワサを聞くところから、史進公孫瓚に比定する。
もともと史進の話だって、バラバラの講談を、『水滸伝』編者がつなぎあわせたものであって、同じキャラが経験する必然性がない。だから、ぼくの都合で、解体・再統合をする。こうしたムリをしてまで、「史進趙雲」にしたかった。「竜」のイメージが重なるし、長いものが武器だし、北方謙三も「史進趙雲」と言ってたしw

少華山に拠っているのは、3人の首領

英雄記曰:瓚統內外,衣冠子弟有材秀者,必抑使困在窮苦之地。或問其故,答曰:「今取衣冠家子弟及善士富貴之,皆自以為職當得之,不謝人善也。」所寵遇驕恣者,類多庸兒,若故卜數師劉緯台、販繒李移子、賈人樂何當等三人,與之定兄弟之誓,自號為伯,謂三人者為仲叔季,富皆巨億,或取其女以配己子,常稱古者曲周、灌嬰之屬以譬也。(公孫瓚伝注引)

公孫瓚が義兄弟となったのは、もと占い師の劉緯台、絹売りの李移子、商人の楽何當です(史実)。というわけで、公孫瓚には、この3人に、このタイミングで出会ってもらう。

水滸伝』で、史進は少華山の3盗賊と出会う。彼ら3盗賊は、義兄弟の盟約を結んでいる。朱武・陳達・楊春である。神機軍師の朱武は、頭脳派なので、もと占い師に当てる。白花蛇の楊春は「白面の妖蛇のような容姿」が呼称の由来らしいので、絹商人に当てる。跳澗虎の陳達は武闘派だが、消去法で商人ということになる。
できれば、後漢末の史料にある人物のすべてに、108人を割り振りたい。ただし、『水滸伝』でキャラ立ちしていない人物を、むりにキャラ立ちさせることはしない。「きちんと割り振りましたよ、義理は果たしましたよ」という、作者(ぼく)と読者との契約のようなものをイメージしてます。

公孫瓚は、3人のアウトローな盗賊と、はじめは対立するけれども、互いに認め合って仲間になる。

第3回 韓当が肉屋を殴り殺す

公孫瓚は、盗賊と一緒にいるところを見られて、盧植のところに居られなくなる。仕方がないから、故郷(遼西の令支)に帰ることにする。

水滸伝史進は、少華山の3盗賊を取り残して、「まだ旅がしたいから」といって、流れていく。合致している。『水滸伝』で史進が旅立つ理由は、「王進を探しに」だけれど、ここまでは踏襲できず。

ふと公孫瓚は、豪傑に遭遇する。韓当である。

突然ですが、水滸伝魯智深を、呉の韓当とする。 思い出すのが、坂口和澄 『正史三国志群雄銘銘伝』の韓当の記事。 「北辺の生まれであり、江東出身の将軍がおおい孫氏集団のなかでは、程普と同様に異彩をはなつ。程普が生まれた地から40キロを隔てるだけである。『三国志』を主題に小説を書くならば、韓当と程普が、若いころ、一旗あげようとして南をめざし、孫堅とめぐり会ったとすれば、おもしろいかも知れない」と。 韓当は、遼西の令支のひと。なんと、公孫瓚と同郷。こんなにも、うまくパズルのピースが填まるなんてなー。公孫瓚が帰郷して、韓当に「たまたま」遭遇しても、おかしくない。『水滸伝』の史進魯智深よりも、ずっと必然性があります。
宋江とあんまりカラミがないが、幽州・冀州にいそうな人物。これが、韓当と程普なのです。『蒼天航路』のイメージで、韓当は、顔が横にひろがって丸くて豪快そうなので、魯智深の役をやってもらう。『無双』でも、怪しげなオヤジだった。程普は、きびしい軍官という印象があり、また周瑜を芳醇な酒に例えることから、アル中の武松の役になる予定。

公孫瓚韓当が、意気投合して酒を飲んでいると、女の泣き声がする。韓当が事情を聞けば、わるい肉屋に騙されて、ただ働きをさせられている。韓当は怒って、肉屋を殺す。

水滸伝』は肉屋の呼称を鎮関西として、『北方水滸伝』は地理的な都合から、鎮関東とした。ぼくの『漢末水滸伝』の場合は、「鎮朔北」かなー。
一緒に酒を飲むひととして、『水滸伝』では打虎将の李忠がいる。史進のかつての師匠であり、武芸を見せて薬を売り、周通とともに山に籠もり、しょぼい盗賊をやって、呼延灼の馬を盗むという役所。幽州あたりのB級の人物を宛てねばならん。
公孫瓚が刺史に任じる、青州刺史の田楷、兗州刺史の単経、冀州刺史の厳綱あたりが、これに該当するだろう。108人に含まれるのだから、重要人物であるべき。公孫瓚の持ち駒が3つある。しかしこの3人は性格の記述がない。
もしくは、長史の関靖。これで持ち駒が4つ。
英雄記曰:關靖字士起,太原人。本酷吏也,諂而無大謀,特為瓚所信幸。救至,欲內外擊紹。(公孫瓚伝注引)
酷吏だが大謀がない、というコモノぶりから、水滸伝』李忠を、関靖とするという結論でよいかも。公孫瓚の格上として、軍師めいた発言をする。

 

第4回 韓当が逃げるだけ

韓当は、故郷にいられなくなり、逃げ出す。

原典『水滸伝』がこのパターンなので、仕方ないw

助けた女の(新しい夫を介した)斡旋で、出家する?

水滸伝』で魯智深は、仏教教団の秩序になじめず、こっけいな笑いを買う。しかし後漢末に、仏教教団が一般的に展開しているとは思えない。西域との接点ならば、まだ寺院がありそうだが、ここは幽州だし。
「既成秩序のなかに溶け込めず、失笑を買う」という役割は、宿題として別のキャラに割り振ろう。韓当は、鎮関西のようなやつを殴り殺しそうだが、五台山を騒がしそうではない。イメージに合わない。原典『水滸伝』でも、はやく生辰綱を読みたくなって、間延びするのが、このあたりなのだ。
水滸伝』第4回は、五台山を追い出された魯智深が、大相国寺に移動することになって、終わる。『漢末水滸伝』において韓当は、故郷から逃げ出したところで、つぎの第5回のエピソードにいってもいい。
それから魯智深には、『北方水滸伝』でオーガナイザーをやった実績がある。孫堅集団の立ち上げにあたって、韓当がせっせと人材の説得に回った。というほうが、いい感じだ。

 

第5回 韓当が一目惚れを阻止する

韓当が流浪していると、

水滸伝』では桃花山にくると、

娘を盗賊に奪われそうだ、、と在地領主が泣いている。どうやら盗賊が、娘にひとめぼれして、今夜、ひきとりにくるらしい。韓当は、「私が、かわりに娘に化けて待機し、その盗賊がきたら退治してやりましょう」と請け負う。

この嫁取りの盗賊とは、小覇王の周通。あだな繋がりで、孫策のことを思い出すが、まだ『漢末水滸伝』の作中で、孫策は1歳である。しかもここは幽州。ダメ。
また周通をWikipediaで調べると、「桃花山を根城にした山賊で槍の使い手だが、梁山泊でもさほど強い方でもない李忠に一騎討ちで敗れるほど格別腕が立つわけではなく、梁山泊の騎兵将校では最低の席次であり、魯智深には小物呼ばわりされている」とある。小人物がよい。

韓当は、盗賊の王門をとっちめた。

水滸伝』周通を、王門としてみた。『水滸伝』のなかで、周通と李忠が組んで、独立した山賊になる。『漢末水滸伝』のなかで、関靖と王門が組んで、公孫瓚の部将になる、という設定にしよう。
瓚將王門叛瓚爲袁紹、將萬餘人來攻。衆懼欲降。豫登城、謂門曰「卿、爲公孫所厚而去、意有所不得已也。今還作賊乃知卿亂人耳。夫挈瓶之智、守不假器。吾既受之矣。何不急攻乎?」門慚而退。(田豫伝)
公孫瓚の部将に、王門というひとがいる。公孫瓚に叛いて袁紹に味方するものの、田豫に言動を批判されて恥じて撤退する、という情けないひと。


韓当に敗れた王門は、韓当を本拠地に招き入れる。すると、王門の兄貴分におさまっているのは、あの関靖である。

水滸伝』では、魯智深に敗れた周通が、魯智深を本拠地に招き入れると、そこで李忠に再会する。

関靖は、韓当にこれまでの経緯を説明する。
公孫瓚と別れたあと、韓当が肉屋を殺したと聞いた。心配してウロウロしてたら、王門と遭遇した。王門に襲われたが、ぎゃくに王門に勝ったから、山賊の首領に収まっていたのだ」と。

韓当は王門を説得して、嫁取りのことを諦めさせる。いっぽうで、関靖・王門が盗んだ財産を持ち逃げする。

水滸伝』に忠実に書くと、打ち消し線の下のようになるのだが。もともと李忠(ここでは関靖)が再び出てくることが不自然。はぶいてもいいかも。ただ、魯智深韓当)が、周通(王門)をやっつける話でも、充分に読めるのだから。
韓当の動きを整理すると、公孫瓚と意気投合→ 肉屋を殴り殺す→ 王門の一目惚れを諦めさせる、となる。結婚がらみで対句になっているし、作者も読者も付いてこれるはず。あんまり複雑にしても、おもしろさが比例するわけではない。

韓当の旅はつづく。150501

韓当がフラフラするのが、坂口和澄氏の本を読んだときから、やりたかったことだから、これでいいのです。
なお、『水滸伝』に回数の表示に会わせて区切ってますが、『漢末水滸伝』の回数をどうするかは未定です。