魯智深=韓当、武松=程普が、南下する
第6回 韓当が公孫瓚と再会する
韓当が立ち寄った家では、痩せた人々に、「あなたに食べさせる飯はない」と断られる。現地の豪傑が、食糧を独占しているから。かまわず、韓当は、別室で炊けている飯を食ってしまう。
現地の豪傑が、「オレの飯を食いやがったな」と、韓当に襲いかかる。しかし韓当は、返り討ちにする。
さらに韓当が旅をしていると、林の上から、「荷物を置いていけ」という声がする。応戦すると、これは公孫瓚である。
ぼくはアレンジして、公孫瓚が太守のもとに就職して、賊を取り締まっているところに、韓当がひっかかった、という話にしてもいい。公孫瓚は、太守を尊敬するあまり、交趾への徙刑にも付いていくという(公孫瓚)。この場に、上官の太守を持ってきてもいい。
劉太守坐事徵詣廷尉,瓚為禦車,身執徒養。及劉徙日南,瓚具米肉,於北芒上祭先人、舉觴祝曰:「昔為人子,今為人臣,當詣日南。日南瘴氣,或恐不還,與先人辭於此。」再拜慷慨而起,時見者莫不歔欷。劉道得赦還。(公孫瓚伝)
のちに、劉太守を見送って、ウロウロする公孫瓚、というシチュエイションを作ることができる。ここは、劉太守にご登場ねがおう。公孫瓚は劉太守に、いかに韓当が正しい人物であるか、語るのだ。飯の件で、斬殺をしたけれど、じつは悪くないんだとか。
公孫瓚が近況を語るに、3人の義兄弟(占い師とか商人とか)も含めて、公孫瓚が官禄によって養っており、仲よく暮らしていると。
韓当は、つぎの行き先を探してる。公孫瓚が、地元での就職の世話をするというが、韓当は幽州にいたくない。なんか、別天地に行きたくて、モヤモヤしている。
その後の韓当
道中、韓当が腕力を見せびらかしていると、美男子にあう。
これで宿題は2つ。既成の序列を守らない魯智深のキャラ。一連の林冲故事(妻に横恋慕され、高俅にいじめられ、梁山泊に落ち着くまで)。林冲の悲劇性を演じてくれる、漢末のキャラクターって誰だろう。張奐とか?
『水滸伝』では、時空がねじれて、これから林冲故事が語られ、林冲がいたぶられながら護送するところに、ふたたび魯智深が立ち会う。しかし、ここで魯智深が登場する必然性もない。第7回の林冲故事は、中央もしくは西方の出来事として、置き換えたい。『水滸伝』楊志を馬騰として(建国の名臣の子孫つながり)、『水滸伝』林冲を張奐として、ともに西方のストーリーにしよう。
話の切り替えどころが難しいけど。
韓当が腕力を見せびらかしていると、高官が通りかかる。劉虞である。
『水滸伝』で魯智深が怪力を見せびらかすのは、7回の前半。ここから林冲故事にうつり、林冲がいたぶられて徙刑にあっているところを、魯智深が救出する。これが9回。魯智深と林冲は、柴進を頼ることになる。というところにワープした。林冲故事をすっとばすため(あとでやります)、林冲と出会うべきところを、柴進に出会うことにした。駒田訳で112ページ。
劉虞に、「どうしたの」と聞かれて、韓当はモヤモヤを吐露する。劉虞は、「とりあえず、うちに来なさい」と言ってくれる。
『水滸伝』9巻の後半で、林冲は、柴進のもとをさって、牢城でまたイジメにあう。張奐の暗殺を命じる張譲、というのはありそうな設定。改めて、地の文に落とそう。
劉虞のところで韓当が、無為な日々を過ごしていると、うっかり廊下で誰かを、蹴り飛ばす。程普である。
原典は、林冲故事と宋江故事をはさんで、『水滸伝』23回の冒頭。宋江と武松が、柴進のところで、遭遇するシーン。ここから「武十回」が始まる。ぼくのなかで、「韓当と程普が、幽州生まれ同士で、南に下っていく」という話をつくるとき、魯智深と武松のペアに置き換えたい。
いまから主人公が、武松こと程普になる。もしくは、ここでいちど視点を変えて、べつの人の物語にしたほうが、気分が変わるかも。
第23~32回 程十回
程普は、韓当と同じように、力を持て余しているところを、劉虞に拾われた。しかし、まだ若くて社会に出る気がないし、そもそも病気持ちである。韓当に蹴られて、体調がよくなったので、故郷(おなじ幽州内)の兄に会いにいく。
武十回ならぬ、程十回(程普を主人公にした十回分)の着地点は、「どうやら徐州には、すぐれた人物がいるらしい」と、ウワサに聞いてくること。この徐州の人物とは、もちろん孫堅のこと。
孫堅伝によれば、171年、孫堅が海賊を退治する。172年、陽明皇帝の許昌をやぶり、鹽瀆(広陵)丞・盱眙(下邳)丞・下邳丞を務めていく。このころ、徐州にいる。
程普は、兄嫁の浮気に報復する。その罪により、護送されているとき、人肉饅頭屋にくる。
人肉といえば、『三国演義』19回の劉安。劉備に人肉を出してくれる。きっと『水滸伝』張青(人肉屋のおやじ)が劉安で、『水滸伝』母夜叉の孫二娘(人肉屋のおかみ)が劉安の妻なのだ。劉安の妻は、のちに劉備に食われる。108人の割り付けが進んで、嬉しいなあ。
人肉饅頭屋は、程普をすぐれた人物だと知り、謝る。飲食店というのは、情報の交差点だから、孫堅のウワサを耳に入れる。しかし程普は、すぐには動かず。
祖茂は、孫堅の四天王(←ググった結果)として、程普・韓当・黄蓋とともに、『三国演義』で名を連ねているらしい。そして出身地が不明。よし、『水滸伝』施恩は、祖茂とする。祖茂は、程普のおかげで地元で顔を立てることができ、孫堅軍への加盟についていく。
程普は、徙刑を食らう先で、厚遇される。
なぜなら、祖茂が役人にワイロを渡してくれていたから。祖茂が、程普のために便宜を図った理由は、地元で顔を立てたいから。祖茂は、程普の力を借りて、みごとに地元でライバルを圧倒する(『水滸伝』29回)
活躍を終えた程普が、眠っていると、盗賊につかまる(『水滸伝』31回)。しかしその盗賊とは、人肉饅頭屋の劉安の部下だった。程普は、死なずに済む。
武松=程普は、兄のかたきをとり、施恩=祖茂を助けたら、もうエピソードが満腹である。『水滸伝』の孔明・孔亮は、ちがった形で出てきてもらう。張青=劉安のところで、行者=道者なりの衣装をもらったら、柴進=劉虞のところにいる、魯智深=韓当と連れだち、施恩=祖茂も一緒になって、下邳の孫堅をめざそう。
問題は、孫堅を、『水滸伝』キャラに比定できてないこと。まずい!
構成にかんするメモ
原典『水滸伝』は、バラバラの逸話を、ひとつなぎで読めるように、編纂したもの。そういう組み立て品であるならば、各要素を台無しにせぬよう、注意を払いながら、解体・再構築をすることができるはず。
とりあえず、盧植が帰郷して趙雲・公孫瓚に出会うというトリガーから、韓当・程普・祖茂が下邳の孫堅をめざす、という話になりました。
『水滸伝』武十回が終わる32回まで来てしまったが、『水滸伝』積み残しているのは、おもに3つのエピソード群。
ひとつ。林冲が高俅にいびられ、梁山泊に落草したところを、通りかかった楊志に襲いかかる。という、梁山泊という拠点にまつわる話。じつは、梁山泊というロケーションがなくても、ここまでの話は成立してしまうという。
これは、林冲を張奐、楊志を馬騰(この比定の結果、『北方水滸伝』オリジナルキャラの虐殺マシンの楊令は、子の馬超となる)を中心にして演じてもらう。梁山泊の拠点を奪われる王倫の役割は、韓遂らがつぎつぎと使い捨てにしていく頭領(北宮伯玉や李文侯)を充てればよい。
のちに曹操と対抗することにある、「関中十部」が、『水滸伝』で梁山泊という拠点にむれる盗賊の集団になる予定。馬超と、『北方水滸伝』楊令は、重なるところがある。最強の騎馬をひきいて、アタマが断線したようなところが。
つぎに、晁蓋を中心とした、生辰綱をうばうプロジェクト。晁蓋は袁紹が、盧俊義は袁術が演じる。こちらは『水滸伝』の原作とちがって、明確な水塞のようなものを築かず、人的な結合を強みにして戦う。
なぜかって、史実として、袁紹が霊帝期に割拠しないからです。『水滸伝』をモチーフにして、史料にない行動を取らせるけれども、史料に矛盾しない。目指すところは、そこです。
袁紹らが、特定の地盤を得るのは、董卓が執政してから。『漢末水滸伝』で、どこまで描くのか、ちょっと未定。燕青の役割は、曹操が演じる。李師師こと卞氏を操って、宮廷にふかく潜入して……という話もあるのかも。
『水滸伝』に引きつけて、『水滸伝』のイフものとして捉えるなら、晁蓋が梁山泊に入らず、保正としてオモテの顔をキープしながら、北宋を転覆させるための陰謀をめぐらす、、という組織になる予定。
さいごに、宋江こと劉備。宋江が閻婆惜を殺すように、劉備はしょーもない殺人をする。宋江のように、劉備は各地を旅する。李逵こと張飛が、朱仝こと関羽が職務上の失敗をするように仕向けて……という感じ。
劉備集団は、傭兵としての能力を高めながら、史進こと公孫瓚に合流する。
『水滸伝』史進の少華山は、梁山泊に合流するけれども、『漢末水滸伝』公孫瓚の勢力は、安易に袁紹に合流しない。むしろ、袁紹と対立します。こちらのほうが、リアリティがある。劉備は、そのどちらにも関係を結びながら、フラフラする。
『漢末水滸伝』構築にむけて
扱いとして浮いているのが、董卓。まだ『水滸伝』の話のなかでの位置づけが見えてこない。関勝や呼延灼のような辺境の軍閥として、ライバルの勢力になるのかな。
また、
すでに扱った、魯智深こと韓当、武松こと程普、施恩こと祖茂は、孫堅軍を形成するのだけど、涼州の討伐にもいく。董卓たちと一緒に戦うし、馬騰たちを討伐する。地域ごとに分かれたままじゃなく、史実どおり、互いに交渉をもつ。
すでに書いたように、袁紹と公孫瓚だって戦うことになる。そこまで(あとの時代まで)描くかは、これから考えるけど、とにかく、拠点ごとに別々に人材を集めつつ、原典『水滸伝』以上に、おもしろおかしくシャッフルされる。必然性をもって関与しあう。
構成する力が試されるなー。がんばろう。
ごちゃごちゃ書いており、『水滸伝』を読んでない三国ファンには、なにの話をしているのか分からないと思いますが、、『漢末水滸伝』は、『水滸伝』を知らなくても、「ほお」と思って読んで頂けるような話にする予定です。『水滸伝』との対応関係を知ると、より楽しい、というオプションです。あくまで『水滸伝』はオマケです。150501