42~50回、みなの帰郷、祝家荘の戦い
劉備・張飛・張魯が、故郷を往復
ここから42回。劉備は、いよいよ自分の行動が「賊」であるから、袁紹に頼みこんで、両親を袁紹のシェルターに入れてくれという。袁紹は、もちろんOKする。
劉備が故郷に帰ると、案の定、幽州で役人に捕らえられる。
逃げて、天女の廟に入ると、お告げを受ける。
劉備をおかける役人は、ちょっと遅れて追いついたお供(どうせ飲酒して、はぐれたのだろう)である張飛によって、片づけられる。
劉備は、母を迎えにゆく。劉備の母は、劉備に従うことを拒んだ。劉徳然が、母の面倒を見ることにする。劉備は、皇帝になれるという天女の夢を見て、言っていることがおかしい。母とケンカ別れする。
張魯=公孫勝は、ふと故郷に帰って修行をしたくなり、退場する。百日で帰るといって約束するが、どうせ戻ってこないのだ。
張飛=李逵も、母親を迎えにゆく。
ここから43回。張飛が母を迎えにゆく条件として、劉備は3つの戒めを与える。
往路の冀州で、張飛は、ニセ張飛を殺す。張肥(fei=ヒ)とか。
故郷についた張飛は、マジメな兄の反対をふりきって、母を連れ出す。「袁紹のシェルターにいこう」と強引に押し切る。復路、中継地点の淳于丹の店が近づいたころ、油断して、虎に母を食われてしまう。
虎を殺した張飛は、ふもとの人々にとっての英雄になるが、張肥の女房に、「あいつは殺人者だ」とちくられる。
淳于丹は、張飛を賊だと知って、毒入りに肉を食わせる。しかし、淳于瓊が駆けつけて「張飛を殺すな」と止めたので、心変わりをする。ぎゃくに、張飛を捕らえる気が満々の張肥の女房に、毒薬を食わせた。淳于丹は、張飛が毒入りでも肉を食いたがるので、とても苦労する。ここが原典で笑うべきところ。
ここまでが43回。
ここから44回。張飛は、メス李雲を斬って、袁紹のもとに帰る。
『水滸伝』では、戴宗が奔っていると、楊林に呼び止められる。戴宗は楊林に、早足の魔法をかけてやる。この「第三者に魔法をほどこす」という話はおもしろいからやりたいが、必ずしも楊林の位置づけの人物はいらない。
なぜなら、戴宗のムダあしを起点に、楊林と出会い、その楊林をハブにして飲馬川の賊との人脈がひろがり……というのは、人数を稼ぐためのイベントなのだ。とくに、おもしろエピソードもなく、人数が増えていくので、採用する必要はない。
やがて蜀漢に関係する人物と、蜀方面に向かって会っていく……というのでもいいけど。
楊林は、たまたま楊雄(病関索)に遭遇する。強引すぎるw
石秀=何顒が、楊雄=張邈をたすける
話は変わって、というか時系列を調整して。
張邈=楊雄は、何顒=石秀に助けられた。
何顒とともに、袁紹の奔走の友となり、かつそれなりの大物は、張邈。楊雄とは「病関索」である。張邈の活躍を、『花関索伝』で膨らませてもいい。
第44回~46回は、張邈の妻が浮気していることを、何顒があばいて、教えてあげる話。
張邈の妻の処刑が終わったところ(駒田訳116ページ)、みがるな盗人(鼓上蚤の時遷にあたる)が合流する。
奔走の友で、ネタとして残っているなら、伍瓊(伍徳瑜)か。
何顒・張邈・盗人は、ひとの家の鶏を食べる。
祝家荘を、独立した土豪にしたら、話が膨らまない。宦官系の長官がいる、洛陽にある兵舎みたいなところと衝突してほしい。『水滸伝』祝朝奉というのは、いかにも朝廷の味方くさい。『北方水滸伝』では、青蓮寺の聞煥章がこの戦いを仕切っていた。
宦官系の中央の秘密の軍隊の、隠し財産みたいなものを、盗賊がちょろまかして、痛快な思いをする。そこから全面戦争に転がっていく…、という話が読みたい(だから書きたい)。
ここまで、46回。
47回~48回 祝家荘の戦い(前半)
宦官・何顒とは、直接は交渉しない勢力が洛陽にある。
王甫と曹節らは、権力をもてあそぶ。曹節と王甫の父兄や子は、卿、校、牧、守、令、長となった。天下にみちて、貪暴した。王甫の養子は、王吉である。王吉は、沛相となった。もっとも殘酷だ。王吉は、沛相を5年やり、1万余人を殺した。尚書令の陽球は、つねに発憤して言う。「もし私(陽球)が司隷校尉となれば、王吉をこのままにしない」と。すぐに陽球は、司隷校尉にうつった。
王甫は門生に命じ、京兆あたりで、国家の財物7千余万をつかわせた。京兆尹の楊彪は、王甫を司隷校尉の陽球にチクった。4月辛巳、陽球は王甫らをすべて捕え、洛陽獄に送った。王甫の子は、永樂少府の王萌と、沛相の王吉である。陽球は、王萌と王吉も、洛陽獄に送った。みずから陽球は、王甫を裁判した。王甫の子・王萌は、かつて司隷校尉だった。王萌は、陽球を罵った。「さきに陽球は、父と私(王甫と王萌)に、奴隷のごとく仕えた。いま陽球は、私たち父子を裏切るのか」と。
陽球は、土で王萌の口をふさいだ。王甫と王萌を、杖で叩き殺した。段熲は自殺した。王甫の死骸を、夏城門に貼り付けた。「賊臣の王甫」とかかげた。王甫の財産を没収し、妻子を比景に徙した。
曹節は、王甫のハリツケを見た。曹節は慨然として、涙をふいた。「おなじ釜の飯を食べた王甫よ。王甫の体液を、犬に舐めさえてはおけない」と。曹節は王甫を片づけ、すぐに霊帝に言った。「陽球は、故酷な暴吏だ。まえ(熹平6年)に陽球を劾めたが、九江の微功があるから許した。だが陽球は、ひどい。司隷校尉をやめさせよ」と。霊帝は陽球を、衛尉とした(曹節が逃げおおせた)
何顒・張邈は、盗賊とともに、王甫の取引先が買っている鶏を、盗み食いしてしまったので、王甫と一触即発となった。何顒は、司徒の劉郃に「助けて」と申し入れた。劉郃は、兄で侍中の劉鯈を、宦官の曹節によって殺されたひとだ。
史実で、司徒の劉郃をたきつけて、宦官の弾劾にひきこむのは、永楽少府の陳球である。これも『水滸伝』に比定したいな。
さて、祝家荘=王甫、李家荘=陽球として、扈家荘はどうしよう。扈家荘は、扈三娘というヒロインを輩出しなければならない。王甫の縁者が必要になった。王吉は、曹操に挙主だとしたら、曹氏の縁者か。
司徒の劉郃(=李応)は、宦官とつかず離れずの態度で、今日の地位にあるから、容易には承諾しない。何顒・張邈は、劉郃に「盗賊(伍徳瑜か)の罪を軽くするように手紙を書いてほしい」という。永楽少府の陳球は、何顒・張邈に賛同して、手紙を持ち運んで、宦官にたいして伍徳瑜をゆるすように求めた。陳球のめかけは、宦官(程璜)の娘だから(←史実)、願いを聞いてもらえると思った。
しかし、宦官側(曹節ら)は、陳球を無視した。ついに劉郃もみずから頼みにゆくが、宦官側は無視をした。そればかりか宦官は、劉郃に矢を射かけた。
何顒は、袁紹らの力を借りることにした。
袁紹は、「伍徳瑜は盗みをしたのか。奔走の友に含めておくに値しない人物である。殺してしまえ」という。しかし別のひと(原典では宋江だが、劉備は不適)が、「ぎゃくに曹節との勝負を決してしまうチャンスだ」という。荀彧(原典では呉用)が、「手足になるべき人材を斬るな」といい、袁紹に反対した。
何顒(石秀)は、宦官に接近するために、別人に化けて曹節に接近した。しかし露見して、捕らえられた。
いま『水滸伝』扈三娘の処理の仕方を思いついた。前年の178年、霊帝が鴻都門学を設置したとき、蔡邕が朔北に徙刑にあった。この179年、大赦を受けたが、揚州に亡命する。このように地方をウロウロする大官人は、物語に絡みやすい。そして蔡邕の娘の蔡文姫は、宦官を退けて蔡邕を助ける報酬である。蔡文姫は才女として、袁紹らに憧れられている。という設定にしよう。
蔡文姫は洛陽に残っている。何顒らが「一緒に宦官を倒して、蔡邕を呼び戻そう」と説得するが、かたくなに拒む。一見すると、敵に見える(扈三娘が敵だから)。しかし実は、宦官の恐ろしさゆえに拒んだだけで、やがて心を許してくれる。しかし父の蔡邕は、いちど洛陽に戻るものの、宦官の恐ろしさを痛感しているから、蔡文姫を連れて揚州に逃げてしまう(史実なみ)
ここから48回。何顒は、曹節の不正の証拠を握ってきた。金銭の不正だけでは、弱いので、裁判の不正とか、(恐らく皇后に対する)大逆など。
だが、話を単純にするために宦官でいいや。何氏が皇后になるには、何氏を持ち上げるだけでなく、宋氏を貶める必要がある。宋皇后に対する反逆を、宦官が企んでいる証拠を、何顒が潜入してつかむとか、脚色する。
袁紹・何顒は、宦官に攻撃をする。
『漢末水滸伝』では、劉郃・陳球が、陽球を司隷校尉に就けるように運動して、陽球をつかって曹節を攻撃する。その立案・根回しを、何顒・袁紹らがやったことにすればよい。物理的な暴力ではなく、陽球を司隷校尉に推薦するという政治運動が、『漢末水滸伝』における祝家荘の戦いである。
蔡文姫に協力を求めるが、本音を証してもらえず、かえって「宦官の側に、謀略をバラしますよ」という態度を取られて、袁紹らは心底、困り果てる。
49回~50回 祝家荘の戦い(後半)
49回の分。曹節との対決に、援軍が現れる。陽球である。
『漢末水滸伝』では、孫立の役割を、司隷校尉の陽球にになってもらう。
『水滸伝』は、第47・48回と、梁山泊と祝家荘の戦いを描く。しかし第49回、いきなり時空が歪んで、話が分岐する。いわば孫立列伝が始まる。だが、せっかく盛り上がった祝家荘との戦いを、途中でぶった切られるのは、あまり愉快ではない。だからぼくは、前後を調整して、石秀列伝(何顒・張邈の話)に繋いでおきたい。石秀と孫立(何顒と陽球にあたる)は、旧知だというから。
陽球は、九江太守・平原相になって、山賊・奸吏を厳しく討伐した。厳しくやりすぎて、司徒(の張顥)に弾劾された。
『水滸伝』孫立は、登州にいる。『後漢書』陽球の経歴に照らせば、地理的に近い平原相のほうがいい。175年に始まる『漢末水滸伝』のリアルタイムのどこかに、この話を挿入できるだろう(178年に鴻都門学を批判する前のできごと)。順序は要検討。
平原にて陽球は、2人の猟師が追いこんだトラを横取りしたものを罰した。それだけでなく、横取りに報復をした好感たちも罰する。
まず陽球が、毛太公にいわれて猟師2人(解氏)を捕らえる。きびしい調査の結果、毛太公が悪いことに気づいて、毛太公を捕らえようとする(陽球の心の動きは誰も知らない)。そこに、解氏を助け出すために、楽和ら(にあたる者)が押し入ってくる。楽和らは、『水滸伝』なみの活躍をして、解氏に逃がした……と思ったところが、陽球のほうが一枚上手で、楽和らを一網打尽にして、全員を処刑する。
「いたずらに登場人物を増やして、ワケが分からない!」という、『水滸伝』初級者が懐く恨みを、孫立に化けた陽球が晴らすと。
50回の分。
『北方水滸伝』で、扈三娘をはさんで、女に呪われた林冲と、女が好き(という意味で呪われた)王矮虎が、物語をくりひろげる。やはり王矮虎は、呂布のそばにいて欲しい。同郷の李粛あたりにキャラをつけるか?
荀彧(呉用)は、陽球(孫立)をつかって、曹節ら(祝家荘)をつぶす。
この呉用の計略を省くのは惜しい。陳球、「私のめかけは宦官(程璜だが、曹節であると単純化しても可)の娘なので、内応したふりをします」と、潜入作戦をやらせてもいい。ちなみに陳球は、この宦官の娘から情報が漏れて、曹節に殺される。
劉郃・陳球・陽球は、王甫には勝ったが、曹節には敗れた、というのが史実である。『水滸伝』に置き換えたら、祝家荘を半分までやぶって、双方に犠牲を出して膠着、という感じになる。史実に沿うからそれでよし。
陽球の働きによって王甫には勝ったが、曹節が残っている。劉郃・陳球は、「取りあえずは充分に効果があった」と、現実に妥協した。しかし、何顒・袁紹は、「ここで手を緩めるべきでない。曹節も殺そう」と逸る。劉郃・陳球は、「あまり急進的なことをすると、バランスが崩れる」と消極的である。
何顒・袁紹は、「劉郃・陳球は、曹節を殺すつもりだぞ」とウソのウワサを流して、彼らが後戻りできないようにする。