58~67回、袁術・曹操・董卓
三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画
という遊びをしています。『水滸伝』の駒田信二訳を見ながら、漢末・三国に比定していく作業をします。『漢末水滸伝』というタイトルを考えています。
時代背景の確認
180年、霊帝が庭を造園して、司徒の楊賜に諌められる。
181年、朱儁が交趾刺史になって、平定戦をやる。ネタにできるならば使う。同年、鮮卑が幽州・并州に入り、檀石槐が死ぬ(呼延灼に準えて使う)。
この歳、曹節が死んで、趙忠が大長秋になる。主人公たちの狙っているラスボスは、趙忠・張譲であるから、いよいよ物語の骨格が鮮明になる。
182年、霊帝は公卿に、万人に害をなす地方官をあげさせた。太尉の許彧、司空の張濟は、宦官からワイロを受けた。許彧と張済は、宦官の貪汚な子弟や賓客を、害ある地方官のリストから除いた。遠くて小さい郡で、清く治める地方官が、26人リストにあがった。
劉陶伝はいう。光和5年(182年)ウソの二千石リストがあがる。陳耽と、議郎の曹操は、上言して得失を陳べたと。『考異』は、曹操が名を連ねないとする。ともあれ、曹操がこの時期に発言したなら面白いから、採用すればいい。
そういう時代背景のもと、物語はすすむ。
第58~60回、公孫瓚の危機・活躍
58回、既出のキャラが勢揃いする。70回も近いし。
ぼくは、慕容氏を、頴川太守の何進にした。『水滸伝』の呼延灼との戦い → 馬を盗む → 青州の外戚たる慕容氏との戦い、という流れを作りにくい。
それよりも、180年に何「皇后」が誕生する事件を、どこからか切り貼りしてドラマチックに脚色しないと。『水滸伝』の後半に、元ネタになりそうな話があるだろう。王慶とかから拾えないか。
同じ58回、劉虞が戦勝に胸をなで下ろしていると、公孫瓚 or 趙雲が賊(邪悪な高官?)に捕らえられてしまう。
時系列は問わないので、史進=公孫瓚の粗忽さを表すエピソードが必要。鮮卑との戦いの前に置いた方が自然だろう。『水滸伝』では、少華山を引き払うというオチがあるため、この話を後ろに移動させただけだから。
袁紹の人脈(もしくは盧俊義=袁術の人脈)が、公孫瓚の救出を手伝っておくと、ネットワークが充実する。公孫瓚は、袁術の同盟勢力になるから、盧俊義=袁術に救わせたい。
第59回、朝廷から高官がくる。それをラチして、趙雲の救出に利用する。
宿元景の登場は、宋江が天女から「宿に遇ふは重々の喜び」と告げられたのに対応する。それならば、史進=公孫瓚ではなく、史進=趙雲として、「劉備が(公孫瓚に見捨てられた)趙雲を救うことで、後年の運が開けた」としたほうがよいか。
史進=公孫瓚を、袁術が救う話。史進=趙雲を、劉備が救う話。どちらも作りたい。そして、宿元景にあたる高官に協力をあおぐのは、趙雲・劉備にゆずろう。
劉備が中央の高官とのコネを手に入れて、後に生かすとすれば……、宿元景は、だれにすべきだろうか。劉備が、彼に会うことで運が開けるような人物……。
劉備らは、高官に扮したが、口上がまったく分からないので、病気のふりをして黙っていた。
59回、魔術をつかう新しい敵が現れる。天子の張純である。
185年、張純・張挙・丘力居が反乱を起こす。これを『水滸伝』の3人に充てたい。『水滸伝』では、史進とその仲間たちが梁山泊に入った後、初めて存在感を示す戦い。公孫瓚とその仲間たちが活躍してほし。
184年の張角の起兵(『水滸伝』方臘の乱)よりも後になるので、混世魔王の樊瑞が名乗りをあげるのは、もうちょい先である。『水滸伝』では、公孫勝が樊瑞を破る。しかし『漢末水滸伝』では、劉虞の徳の力で、雨を降らして勝ってもらおうw
『水滸伝』60回(史実では189年)張純は、敗北した。
張純ではなく、混世魔王の樊瑞を、仏教の笮融にしてもいい。笮融に2人も仲間がいないけれど。闕宣と……、徐州で人材を募集しなければ。
第60回 晁蓋の死=袁紹の挫折
馬泥棒が、袁紹に助けを求める。
李傕によると、郭汜が馬泥棒らしい(要出典w)
鮮卑から馬を盗んだところ、その馬をさらに黒山?の盗賊に盗まれたから、助けてくれという。
段景住は、『水滸伝』では晁蓋を死に導く。『漢末水滸伝』で袁紹が死んでもらっては困る。袁紹が天子になりたいという意志を挫かれる戦いであってほしい。自称天子の張純と戦って、何かが心のなかでポキリと折れるとかかな。
もしくは、袁紹を挫折させるためだけに造型したキャラ(これから考える)として、曽家荘・史文恭にあてはまるものを登場させる。
『北方水滸伝』では、史文恭は、曽家荘の教師はなく、もと青蓮寺の変幻自在のじいさんだった。晁蓋の手下として入りこんだ。これが、北方氏なりの「晁蓋を殺すためだけのキャラ」であった。
袁紹は「死」を経験した。
対比者・対立者としての袁術との関係がカギだろうな。
188年、西園八校尉がつくられて、袁紹は着任する。宦官である蹇碩の指揮下に入る。これは、一種の「死」である(ともいえる)。
袁紹が「死」んだあと、何顒・荀彧らが頼りに思うのは、もうひとりの頭領たるべき人物である。盧俊義=袁術である。
第61~63回 盧俊義・燕青の登場
洛陽(『水滸伝』では北京大名府)には、盧俊義=袁術がいる。順調に官歴を歩むいっぽうで、大商人としての顔をもち、路ゆく人に恐れられている。いっしょに路ゆくのは、従者のように従っている燕青=曹操である。
『三国演義』でも袁術は、兵糧を担当する(そして孫堅に送らずに妨害する)
袁術の助手みたいな曹操は、劉陶とともに黄巾の脅威を、説いて回っている。史実の劉陶の手柄を、曹操に寄せてゆく。
袁紹らが、朝廷の外部で後漢の転覆を考えているとき、なかから改革を考えていた。
袁紹が(なんらかの経緯で)革命運動に消極的になったので、荀彧・張飛(呉用・李逵)は、袁術との面会にゆく。荀彧は、占い師になって、袁術に不吉な運命を教える。袁術は、公務を抜けて、彼らのあじとにゆく。
袁術は、かつての袁紹の仲間たちの説得・脅迫を受け、いやな気持ちになる。ここまで61回。
62回、袁術は洛陽に帰ったところが、(袁術の仲間と交際したことを告発され)反逆の罪で捕らえられる。首切りの役人2人(蔡慶・蔡福)が、荀彧の説得に応じて、袁術の死罪を免除してくれた。
『水滸伝』で、柴進が蔡福を説得する。董昭は、のちに袁紹に属する。袁紹と気脈を通じつつ、劉虞にも繋がっておく、というのは、董昭のための伏線として悪くない。
董承は、素性に諸説あるけれども、「霊帝の母の一族」という肩書きならば、サラッと登場することができる。董卓との繋がりでも、話に使える。本作は189年までを対象にするから、董卓が洛陽の外で駐屯するところまで描く。
徙刑にあった袁術を、曹操が担いでにげる。それを、張邈・何顒(楊雄・石秀)が救い出す。何顒は、二階から飛び降りる。
すなわち、黄巾の乱に便乗して、韓遂らが涼州を攻めるだろうから、その目線に譲る。
第63~67回 董卓軍の成り立ち
『水滸伝』宣賛は、郡王のむこで、顔がみにくい。『北方水滸伝』宣賛は、現場の軍師となって、呉用の代わりを務める。宣賛=李儒にしたい。李儒は『三国演義』で董卓の娘婿という設定。少帝を殺すなど、知恵袋のような役割を果たして、軍師めいたイメージもあり。
郝思文は、董卓の配下としてもっとも(政治的にではなく、物語的に)花のある、華雄をあてよう。『漢末水滸伝』は、董卓政権論をやりたいのではないから。
董卓を抜擢したのは、袁隗である。
高官を整理すると、蔡京は袁隗、高俅は張譲、楊戩は趙忠(王甫・曹節も、彼らの先輩として同じ機能を果たす)、童貫は蹇碩(宦官で霊帝の禁軍のトップ)。楊賜・楊彪の親子は、良識派の高官として、適当に配置する。
董卓は張温に従軍し、孫堅とともに、辺章・韓遂と戦う(『水滸伝』64回)
『漢末水滸伝』では勝敗を逆転させて、董卓軍が辺章・韓遂をやぶる。この戦いに、孫堅軍も従っている(史実なみ)。
これより先、184年、涼州刺史の 耿鄙 孟他は、あまりに民から搾取するから、民や部下に叛かれて殺される。
馬騰は、耿鄙の命令を受けて討伐にゆく。『漢末水滸伝』では、孟他から「生辰綱を失敗した分を取り返せ」と、理不尽で高圧的な命令を受ける。結果、『水滸伝』で関勝らが降伏するのと同型で、楊志=馬騰は、関勝=董卓に降伏する。楊志=馬騰は、梁中書=孟他を殺す。これが『水滸伝』の北京大名府の戦い。
涼州の部将の馬騰は、韓遂に捕らえられると、涼州刺史の耿鄙を殺す。涼州の州治を攻め落として、韓遂と結んだ。
第65回を飛ばして(宋江=劉備と、安道全の話なので)、『水滸伝』第66回、韓遂・馬騰が、涼州の州治を攻め落とした。
66回、賈詡の手引きにより、韓遂・馬騰は、孟他のいる涼州府を陥落させ、孟他を斬って、涼州で起兵をした。
のちに賈詡は、韓遂・馬超の連合を崩す。涼州のことに通じていた、という伏線になれば。ムリになり過ぎない範囲で。
時遷は「機密伝令担当の歩兵頭領」で、やがて信仰の対象になったという。賈詡にピッタリか。本作で、ともすると袁紹と無関係になりがちな馬騰を、結びつけるためには、賈詡のような接着剤がいるのかも。
→ 上述『水滸伝』64回の関勝=董卓の出陣は、この直後のイベント
第67回、董卓が、韓遂・馬騰軍の、聖水将・神火将をくだす。
いま思いついたけど、程普・韓当が南下してくるときの仲間に、徐栄を加えたい。空席がなかったかな。幽州の玄菟郡のひと。のちに董卓軍に加わる。
第67回は、董卓軍は道すがら、喪門神(殺人狂)と没面目(もと力士)と出会わなければならない。
没面目の焦挺は、梁山泊にあこがれて、加入のタイミングを探っている。ランダムに牛輔とか。いや、ランダムすぎる。
65回、安道全・王定六
劉備が悪い夢をみて、気に病むので、むりやり医者を連れてきて、カウンセリングをする。医者の故郷で殺人をやり、「医者が殺した」と壁面に書いて、故郷にいられなくなるという強引な手法。
医者といえば、華佗・張仲景・董奉である。馬の医者も割り当てなければならない。
壁に書くといえば、武松が殺人者と書いたり、宋江が反逆の詩を書いたり。宋江の悪夢の話なので、宋江の話をリピートするように、精神分析の要素を入れた話にしたい。
情報を集める係のものも加わる。
劉備の病気がいえた。