水滸伝の話を三国志に置換01
後漢末を舞台として、『水滸伝』のストーリーを展開させる、『漢末水滸伝』という物語をつくろうと考えています。『水滸伝』をどのようにアレンジするか、そのアイディアを書いていきます。
これで、だいたいの道筋が見えてこれば、あとは書きながら考えればいい。
◆第1回 順帝が梁冀を南華老仙のもとに送る
まず仁宗が疫病に悩み、洪太尉が張真人に会いに行くけれども、108の星を解き放ってしまうところ。
仁宗→後漢の順帝、洪太尉→梁冀、張真人→南華老仙とする。
『水滸伝』は仁宗のときから、数十年後に、本編がはじまる。つまり、仁宗のときに散らばった魔物が転生して、本編で20~30歳の青年として活躍する。後漢末に活躍するひとたちが生まれた時代(順帝期)に、ほったんを置きたい。
天子に信任されて、重要な使者になり、かつ傲慢ゆえに失敗するのは、梁冀サマがいいと思う。山登りが苦手そうだし、軍権をちらつかせそうだし。
順帝期に道術をつかうものとして、于吉がこの時期に『太平清領書』を著しているらしいので、ぴったりくる。しかし、後漢がほろぶ発端としては、黄巾の乱とのつながりを大切にして、南華老仙としたい。これは『三国演義』で、張角に道術をさずけるひと。
◆第2回 趙雲が盧植から武術をならう
『水滸伝』の九紋龍の史進は、「龍」というモチーフと、「棒」という長い武器から、趙雲にしたい。史進=趙雲 という比定。
『水滸伝』の王進は、だれか。北のほうに流れてきて、かつ少年の趙雲に武術を教えてくれそうなひと。宦官がのさばる中央で、あまりうまく処世できそうにないひと。王進=盧植 という比定。
『水滸伝』における高級(中央を腐敗させる、こまった悪玉)としては、『三国志』の張譲・趙忠という、おきまりの宦官を悪役にすればいい。『水滸伝』の童貫という、オトコギのある宦官は、『三国志』の蹇碩にする。
『水滸伝』で、史進は朱武たちと出会う。趙雲と同郷で、のちに趙雲に味方するひとがいたら比定したいけれども、これは必然ではない。史進のつぎの一大事業(話を前に進める役割)は、魯智深と出会うこと。
◆第3~6回 趙雲が文醜にであい、文醜が暴れる
魯智深って、三国志に出てくるキャラのなかで、だれに似てるだろう。時代背景が違うから、僧形にはこだわらず。鎮関西を殴り殺すこと、仏教寺院の規則に従わないことなど、既成の秩序を軽視して突っ走り、笑いを買うキャラだと思うのですが。
「花」和尚という、イレズミという特徴と、樹木をひっこぬく剛力というところから、顔良・文醜のどちらかを連れてこようか。出身地としては、おそらく冀州のあたりだろうから、問題がない。魯智深=文醜 という比定。
魯智深は、既存の官職にいられなくなり、剃髪して僧形になる。しかし後漢末に、仏教はそこまで浸透していない。ホトケのように寛大に人材を受け入れてくれそうなのは、幽州刺史の劉虞 だろう。五台山の寺院=劉虞の官府。
『水滸伝』では、打虎将の李忠のような、凡人にであう。彼らは、史進と魯智深の豪傑ぶりをひきたてるための添え物。李忠をだれにするか、というのは宿題。まずは、話の主筋を決めてしまおう。
◆第7回~第12回 文醜の怪力を、公孫瓚が見つける
性格が暗くて人格的に難があるけれど、見た目がよくて、武芸の腕がたち、河北あたりをウロウロしてそうなひと。林冲=公孫瓚 というのはどうでしょう。公孫瓚は、白馬にまたがり、北方で異民族の相手をすることから、雪が似合う(勝手なイメージ)。
公孫瓚は、太守の娘むことなり、官途がひらける。出発点において、女性がらみという問題をひろげて、公孫瓚に、人生で1度目の悲劇をつくってあげる。盧植と知り合いだった、という関係性も、扱いやすい。
『水滸伝』で林冲をかくまうのは、柴進。前代の王朝の末裔ということで、特別な待遇を受けている。『三国志』では、周の姫氏が特別待遇を受けている。調べれば、この時代の姫氏の当主が分かるだろうなあ。柴進=周王の姫氏の末裔。
もしくは、後漢の諸侯王のだれかにかくまってもらうか。しかし、現在の後漢と、距離があるひとがいいから、なかなか難しい。勃海王の劉悝は、すでに死んでいる。
◆第13回 楊志=馬騰の登場
このあたりで『水滸伝』は、ギクシャクする。
楊志の重要な性質は、「建国の英雄の末裔」であること。後漢初の英雄の子孫で、三国志のなかでも重要なキャラは、馬援の子孫である馬騰。 楊志=馬騰。
つまり物語は、北から西に目を転じなければならない。公孫瓚がどこに身を落ちつけるか。恩のある太守が、日南に徙刑されるのを防ぐため、中央に画策するとか。このあたりの物語の接着は、慎重にやりたい。
そして楊志(=馬騰)は、生辰綱の運搬にも失敗する。これを失敗させる人々が、晁蓋や呉用といった主人公集団。
……もっと悩んだほうがいいなあ。
ばらばらの説話をつなげて、ひとつの物語にすることの難しさを感じます。おそらく『水滸伝』を編纂したひとも、同じ苦しみを味わったに違いない。梁山泊と関係ない話を、梁山泊に結びつけてゆくという作業。