42~50回、みなの帰郷、祝家荘の戦い

劉備張飛張魯が、故郷を往復

ここから42回。劉備は、いよいよ自分の行動が「賊」であるから、袁紹に頼みこんで、両親を袁紹のシェルターに入れてくれという。袁紹は、もちろんOKする。

ここで帰郷ラッシュが起こるのは、揚州であともどりできない行動を起こしてしまったため、みんな「家族をかくまおう」、「修行をやり直そう」など、臨戦態勢の準備を始めたからだろう。原作と同じように『漢末水滸伝』も話を進めればよい。

劉備が故郷に帰ると、案の定、幽州で役人に捕らえられる。
逃げて、天女の廟に入ると、お告げを受ける。

原典のおつげは、宿元景を頼って招安を受けるといいよ、というものである。しかし『漢末水滸伝』の劉備は、皇帝即位について、ほのめかされて、おかしな気分になる。

劉備をおかける役人は、ちょっと遅れて追いついたお供(どうせ飲酒して、はぐれたのだろう)である張飛によって、片づけられる。

原典では、欧鵬・陶宗旺・石勇・李立がやってくる。宋江がメインストリームにいることを強調するのだろうが、退屈である。さらに大勢が、梁山泊から集まってくるが、複雑になるだけで、面白くない。

劉備は、母を迎えにゆく。劉備の母は、劉備に従うことを拒んだ。劉徳然が、母の面倒を見ることにする。劉備は、皇帝になれるという天女の夢を見て、言っていることがおかしい。母とケンカ別れする。

水滸伝』32回では、宋太公と宋清が合流するという、ハッピーエンドである。しかし劉備の母は、バッドエンドでしななくては。


張魯公孫勝は、ふと故郷に帰って修行をしたくなり、退場する。百日で帰るといって約束するが、どうせ戻ってこないのだ。
張飛李逵も、母親を迎えにゆく。

往復している時間がもったいないから、張飛劉備は、2人とも、それぞれ家族を迎えにいく、という当初からの目的を設定したほうが自然かも。劉備が母に断られる → 劉備が役人に追われる → 張飛が追っ手を殺す → 張飛が自分の母を迎えにいく、と。すると劉備は、張飛の母にも同行せねばならんか。要検討。


ここから43回。張飛が母を迎えにゆく条件として、劉備は3つの戒めを与える。

原典では、朱貴が李逵の同郷だといって、帰郷の面倒をみる。『漢末水滸伝』の淳于瓊は、頴川郡の出身なので、径路に入らない。「弟の淳于丹が、冀州で店をやっているから、困ったら途中で寄るように」ぐらいを申し送るか。

往路の冀州で、張飛は、ニセ張飛を殺す。張肥(fei=ヒ)とか。

李逵は、ニセものの李鬼を殺す。

故郷についた張飛は、マジメな兄の反対をふりきって、母を連れ出す。「袁紹のシェルターにいこう」と強引に押し切る。復路、中継地点の淳于丹の店が近づいたころ、油断して、虎に母を食われてしまう。
虎を殺した張飛は、ふもとの人々にとっての英雄になるが、張肥の女房に、「あいつは殺人者だ」とちくられる。
淳于丹は、張飛を賊だと知って、毒入りに肉を食わせる。しかし、淳于瓊が駆けつけて「張飛を殺すな」と止めたので、心変わりをする。ぎゃくに、張飛を捕らえる気が満々の張肥の女房に、毒薬を食わせた。淳于丹は、張飛が毒入りでも肉を食いたがるので、とても苦労する。ここが原典で笑うべきところ。

張飛は実家が肉屋だったから、いろいろエピソードが広がりそう。原典では、李雲というひとがいて、李逵を捕らえる気が満々である。ぼくは、登場人物を節約した。そうか、張肥の女房の名前を「李雲」にしてしまえば、いいのか!

ここまでが43回。
ここから44回。張飛は、メス李雲を斬って、袁紹のもとに帰る。

原典では、オス李雲が梁山泊に入る。しかし入っただけで、とくに活躍はないのだ。メス李雲も、「髭が赤く瞳が青い」という特徴にしよう。


張魯を見つけるため、孫乾は旅にでる。

張魯は故郷が沛郡だが、どうやら蜀方面に行ったらしい、という不確かな情報で動き出す。
水滸伝』では、戴宗が奔っていると、楊林に呼び止められる。戴宗は楊林に、早足の魔法をかけてやる。この「第三者に魔法をほどこす」という話はおもしろいからやりたいが、必ずしも楊林の位置づけの人物はいらない。
なぜなら、戴宗のムダあしを起点に、楊林と出会い、その楊林をハブにして飲馬川の賊との人脈がひろがり……というのは、人数を稼ぐためのイベントなのだ。とくに、おもしろエピソードもなく、人数が増えていくので、採用する必要はない。
やがて蜀漢に関係する人物と、蜀方面に向かって会っていく……というのでもいいけど。
楊林は、たまたま楊雄(病関索)に遭遇する。強引すぎるw

 

石秀=何顒が、楊雄=張邈をたすける

話は変わって、というか時系列を調整して。

袁紹が揚州におどりこみ、劉備を救出する話は、何進が執政して風向きが変わる直前などに置かないと、ストーリーが行き詰まる。きっと、この『水滸伝』石秀と楊雄の話は、袁紹が揚州に躍りこむよりも、前のことだろう。

張邈=楊雄は、何顒=石秀に助けられた。

石秀は、人助けをするし、祝家荘に潜入して諜報もやる。これは、袁紹らをバックアップし、かつ党錮のときに洛陽に侵入した、何顒に近いだろう。「何顒グループ」なんて言い方もする。石秀というキャラに対する、最高の評価をした結果、何顒を割り当てました。
何顒とともに、袁紹の奔走の友となり、かつそれなりの大物は、張邈。楊雄とは「病関索」である。張邈の活躍を、『花関索伝』で膨らませてもいい。

第44回~46回は、張邈の妻が浮気していることを、何顒があばいて、教えてあげる話。

何顒には、「友人の虞偉高が父の仇に報いずして病に倒れた時、代わりに報復してやり、その首を墓前に捧げた」という、友達思いが過剰なエピソードがある。何顒ならば、張邈の妻の浮気調査みたいな、余計なこともするだろうさ。

張邈の妻の処刑が終わったところ(駒田訳116ページ)、みがるな盗人(鼓上蚤の時遷にあたる)が合流する。

だれを時遷にするか、宿題とする。三国志に、魅力的な盗みをするひとって、出てきたっけ。
奔走の友で、ネタとして残っているなら、伍瓊(伍徳瑜)か。


何顒・張邈・盗人は、ひとの家の鶏を食べる。

張邈の妻の事件は、きっと何顒が潜入しているところの、洛陽で起きたんだろう。そういうことにしよう。そして盗人が盗んだのは、官軍の資財である。
祝家荘を、独立した土豪にしたら、話が膨らまない。宦官系の長官がいる、洛陽にある兵舎みたいなところと衝突してほしい。『水滸伝』祝朝奉というのは、いかにも朝廷の味方くさい。『北方水滸伝』では、青蓮寺の聞煥章がこの戦いを仕切っていた。
宦官系の中央の秘密の軍隊の、隠し財産みたいなものを、盗賊がちょろまかして、痛快な思いをする。そこから全面戦争に転がっていく…、という話が読みたい(だから書きたい)。

ここまで、46回。

47回~48回 祝家荘の戦い(前半)

宦官・何顒とは、直接は交渉しない勢力が洛陽にある。

水滸伝』47回から出てくる、李家荘である。当主の李応、執事の杜興である。なにか祝家荘の戦いになぞらえる史実がないかな。陽球が宦官と対決する事件は、どうだろうか。179年の『通鑑』の抄訳から。
王甫と曹節は、権力をもてあそぶ。曹節と王甫の父兄や子は、卿、校、牧、守、令、長となった。天下にみちて、貪暴した。王甫の養子は、王吉である。王吉は、沛相となった。もっとも殘酷だ。王吉は、沛相を5年やり、1万余人を殺した。尚書令の陽球は、つねに発憤して言う。「もし私(陽球)が司隷校尉となれば、王吉をこのままにしない」と。すぐに陽球は、司隷校尉にうつった。
王甫は門生に命じ、京兆あたりで、国家の財物7千余万をつかわせた。京兆尹の楊彪は、王甫を司隷校尉陽球にチクった。4月辛巳、陽球は王甫らをすべて捕え、洛陽獄に送った。王甫の子は、永樂少府の王萌と、沛相の王吉である。陽球は、王萌と王吉も、洛陽獄に送った。みずから陽球は、王甫を裁判した。王甫の子・王萌は、かつて司隷校尉だった。王萌は、陽球を罵った。「さきに陽球は、父と私(王甫と王萌)に、奴隷のごとく仕えた。いま陽球は、私たち父子を裏切るのか」と。
陽球は、土で王萌の口をふさいだ。王甫と王萌を、杖で叩き殺した。段熲は自殺した。王甫の死骸を、夏城門に貼り付けた。「賊臣の王甫」とかかげた。王甫の財産を没収し、妻子を比景に徙した。
曹節は、王甫のハリツケを見た。曹節は慨然として、涙をふいた。「おなじ釜の飯を食べた王甫よ。王甫の体液を、犬に舐めさえてはおけない」と。曹節は王甫を片づけ、すぐに霊帝に言った。「陽球は、故酷な暴吏だ。まえ(熹平6年)に陽球を劾めたが、九江の微功があるから許した。だが陽球は、ひどい。司隷校尉をやめさせよ」と。霊帝は陽球を、衛尉とした曹節が逃げおおせた)

何顒・張邈は、盗賊とともに、王甫の取引先が買っている鶏を、盗み食いしてしまったので、王甫と一触即発となった。何顒は、司徒の劉郃に「助けて」と申し入れた。劉郃は、兄で侍中の劉鯈を、宦官の曹節によって殺されたひとだ。

水滸伝』石秀は、李応に助けを申し入れた。
史実で、司徒の劉郃をたきつけて、宦官の弾劾にひきこむのは、永楽少府の陳球である。これも『水滸伝』に比定したいな。
さて、祝家荘=王甫、李家荘=陽球として、扈家荘はどうしよう。扈家荘は、扈三娘というヒロインを輩出しなければならない。王甫の縁者が必要になった。王吉は、曹操に挙主だとしたら、曹氏の縁者か。

司徒の劉郃(=李応)は、宦官とつかず離れずの態度で、今日の地位にあるから、容易には承諾しない。何顒・張邈は、劉郃に「盗賊(伍徳瑜か)の罪を軽くするように手紙を書いてほしい」という。永楽少府の陳球は、何顒・張邈に賛同して、手紙を持ち運んで、宦官にたいして伍徳瑜をゆるすように求めた。陳球のめかけは、宦官(程璜)の娘だから(←史実)、願いを聞いてもらえると思った。

水滸伝』では、李応が、祝家荘との宿縁があるから、きっと願いを聞いてくれると見込む。李応=劉郃、杜興=陳球としたが、この役割が逆転しても可。

しかし、宦官側(曹節ら)は、陳球を無視した。ついに劉郃もみずから頼みにゆくが、宦官側は無視をした。そればかりか宦官は、劉郃に矢を射かけた。

何顒は、袁紹らの力を借りることにした。

水滸伝』47回では、石勇・戴宗・楊林を仲介にして、石秀・楊雄は梁山泊に頼むことになる。しかし本作では、石勇を魏延にして、戴宗を孫乾にしてしまったため、使えない。楊林は比定してない。それよりも何顒と袁紹は、史実で友人なのだから、直接いって頼めばよい。

袁紹は、「伍徳瑜は盗みをしたのか。奔走の友に含めておくに値しない人物である。殺してしまえ」という。しかし別のひと(原典では宋江だが、劉備は不適)が、「ぎゃくに曹節との勝負を決してしまうチャンスだ」という。荀彧(原典では呉用)が、「手足になるべき人材を斬るな」といい、袁紹に反対した。
何顒(石秀)は、宦官に接近するために、別人に化けて曹節に接近した。しかし露見して、捕らえられた。

原典では、石秀が祝家荘の迷路を解き明かすために潜入する。しかし本作では、物理的な迷路には、あまり意味がない。曹節の経歴に関するキズを求めに潜入する、ということでいいと思う。『水滸伝』で潜入は楊林・黄信も行うが、石秀=何顒ひとりで充分、同じ話が成り立つ。もしも、「先に正体がバレたやつ、次に正体がバレるやつ」という二段構えが必要なら、何顒・張邈が仲よく捕まればよい。張邈がドジで、先に捕まる役。
いま『水滸伝』扈三娘の処理の仕方を思いついた。前年の178年、霊帝が鴻都門学を設置したとき、蔡邕が朔北に徙刑にあった。この179年、大赦を受けたが、揚州に亡命する。このように地方をウロウロする大官人は、物語に絡みやすい。そして蔡邕の娘の蔡文姫は、宦官を退けて蔡邕を助ける報酬である。蔡文姫は才女として、袁紹らに憧れられている。という設定にしよう。
蔡文姫は洛陽に残っている。何顒らが「一緒に宦官を倒して、蔡邕を呼び戻そう」と説得するが、かたくなに拒む。一見すると、敵に見える(扈三娘が敵だから)。しかし実は、宦官の恐ろしさゆえに拒んだだけで、やがて心を許してくれる。しかし父の蔡邕は、いちど洛陽に戻るものの、宦官の恐ろしさを痛感しているから、蔡文姫を連れて揚州に逃げてしまう(史実なみ)


ここから48回。何顒は、曹節の不正の証拠を握ってきた。金銭の不正だけでは、弱いので、裁判の不正とか、(恐らく皇后に対する)大逆など。

翌年、皇后が宋氏から何氏に交替する。それを絡ませればよい。『後漢書』によれば、何氏は宦官にワイロして皇后になったという。いまWikipediaを調べたら、ワイロした宦官は、同郷の宦官の郭勝であるという。ただし『後漢書』霊思何皇后紀の注『風俗通』では、戸籍調査の役人へ賄賂を渡しており、恐らく宦官ではないと。
だが、話を単純にするために宦官でいいや。何氏が皇后になるには、何氏を持ち上げるだけでなく、宋氏を貶める必要がある。宋皇后に対する反逆を、宦官が企んでいる証拠を、何顒が潜入してつかむとか、脚色する。

袁紹・何顒は、宦官に攻撃をする。

水滸伝』48回では、花栄が提灯を射落として道しるべをダメにしたり、近ごろ加入した欧鵬・鄧飛・馬麟が突っこんで欒廷玉に倒されたり、物理的な戦いをやる。いらん。
『漢末水滸伝』では、劉郃・陳球が、陽球を司隷校尉に就けるように運動して、陽球をつかって曹節を攻撃する。その立案・根回しを、何顒・袁紹らがやったことにすればよい。物理的な暴力ではなく、陽球を司隷校尉に推薦するという政治運動が、『漢末水滸伝』における祝家荘の戦いである。

蔡文姫に協力を求めるが、本音を証してもらえず、かえって「宦官の側に、謀略をバラしますよ」という態度を取られて、袁紹らは心底、困り果てる。

水滸伝』扈三娘は、梁山泊の諸将をなぎ倒したが、林冲によって捕らえられる。ぼくが林冲に比定した呂布は、ここにいないから、この話はやれない。蔡文姫と呂布のからみを、どこかで設けたい。蔡邕が朔北に徙されているから、そばを通るチャンスあり。宿題。

 

49回~50回 祝家荘の戦い(後半)

49回の分。曹節との対決に、援軍が現れる。陽球である。

水滸伝』49回で、祝家荘に梁山泊が勝つ理由は、病尉遅の孫立。梁山泊の諸将をなぎなおす、祝家荘の武術教師(欒廷玉)と、旧知である。祝家荘のなかに入りこんで、梁山泊に内応してくれる。
『漢末水滸伝』では、孫立の役割を、司隷校尉の陽球にになってもらう。
水滸伝』は、第47・48回と、梁山泊と祝家荘の戦いを描く。しかし第49回、いきなり時空が歪んで、話が分岐する。いわば孫立列伝が始まる。だが、せっかく盛り上がった祝家荘との戦いを、途中でぶった切られるのは、あまり愉快ではない。だからぼくは、前後を調整して、石秀列伝(何顒・張邈の話)に繋いでおきたい。石秀と孫立(何顒と陽球にあたる)は、旧知だというから。


陽球は、九江太守・平原相になって、山賊・奸吏を厳しく討伐した。厳しくやりすぎて、司徒(の張顥)に弾劾された。

以上、陽球伝にあること。地方官として、いかに陽球が厳しく振る舞ったかといえば、平原相の時代に……と、『水滸伝』と合流する。解珍・解宝のトラを、毛太公が横取りするが、その毛太公(のように利益を搾取するひとを)を厳しく罰するなど。
水滸伝』孫立は、登州にいる。『後漢書』陽球の経歴に照らせば、地理的に近い平原相のほうがいい。175年に始まる『漢末水滸伝』のリアルタイムのどこかに、この話を挿入できるだろう(178年に鴻都門学を批判する前のできごと)。順序は要検討。

平原にて陽球は、2人の猟師が追いこんだトラを横取りしたものを罰した。それだけでなく、横取りに報復をした好感たちも罰する。

罰せられるのは、『水滸伝』鉄叫子の楽和・母大虫の顧大嫂・鄒衍と鄒潤にあたる。彼らに、キャラをつけて活躍させるなら、視点がむずかしい。
まず陽球が、毛太公にいわれて猟師2人(解氏)を捕らえる。きびしい調査の結果、毛太公が悪いことに気づいて、毛太公を捕らえようとする(陽球の心の動きは誰も知らない)。そこに、解氏を助け出すために、楽和ら(にあたる者)が押し入ってくる。楽和らは、『水滸伝』なみの活躍をして、解氏に逃がした……と思ったところが、陽球のほうが一枚上手で、楽和らを一網打尽にして、全員を処刑する。
「いたずらに登場人物を増やして、ワケが分からない!」という、水滸伝』初級者が懐く恨みを、孫立に化けた陽球が晴らすと。


50回の分。

水滸伝』扈成が、「扈三娘を返してくれ」といい、梁山泊が「王矮虎を返してくれるなら」という人質交換の話は、呂布の近辺に話を移したい。王矮虎に該当する女好きの人物を、呂布のそばにおかねば。
『北方水滸伝』で、扈三娘をはさんで、女に呪われた林冲と、女が好き(という意味で呪われた)王矮虎が、物語をくりひろげる。やはり王矮虎は、呂布のそばにいて欲しい。同郷の李粛あたりにキャラをつけるか?

荀彧(呉用)は、陽球(孫立)をつかって、曹節ら(祝家荘)をつぶす。

水滸伝』では呉用が「連環の計」をつかう。かりに孫立を祝家荘に味方させ、石秀と戦って捕らえ(るふりをして)、祝家荘の内側にひきこみ、梁山泊に内応する。
この呉用の計略を省くのは惜しい。陳球、「私のめかけは宦官(程璜だが、曹節であると単純化しても可)の娘なので、内応したふりをします」と、潜入作戦をやらせてもいい。ちなみに陳球は、この宦官の娘から情報が漏れて、曹節に殺される。
劉郃・陳球・陽球は、王甫には勝ったが、曹節には敗れた、というのが史実である。『水滸伝』に置き換えたら、祝家荘を半分までやぶって、双方に犠牲を出して膠着、という感じになる。史実に沿うからそれでよし。

陽球の働きによって王甫には勝ったが、曹節が残っている。劉郃・陳球は、「取りあえずは充分に効果があった」と、現実に妥協した。しかし、何顒・袁紹は、「ここで手を緩めるべきでない。曹節も殺そう」と逸る。劉郃・陳球は、「あまり急進的なことをすると、バランスが崩れる」と消極的である。
何顒・袁紹は、「劉郃・陳球は、曹節を殺すつもりだぞ」とウソのウワサを流して、彼らが後戻りできないようにする。

50回、駒田訳169ページで、呉用が「李家荘は、もう焼けちゃいましたよ」といって、ムリに梁山泊に引きこむ。退路を断って、強引に味方についけるという意味で、こんな話にしてみた。

32~41回、花栄=黄忠、李逵=張飛、李俊=孫堅

三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画
という遊びをしています。『水滸伝』の駒田信二訳を見ながら、漢末・三国に比定していく作業をします。『漢末水滸伝』というタイトルを考えています。

ふと気づきましたが、176年(この物語の開始の翌年)、
閏5月、永昌太守の曹鸞が、上書した。「党人をゆるせ」と。霊帝は大怒した。すぐに司隷校尉益州に命じ、曹鸞を槐裡で獄死させた。ここにおいて、さらに州郡は、党人の関係者を禁錮した。門生、故吏、父子、 兄弟は、官位をやめた。禁錮は、党人の五屬まで及んだ。
とある。『通鑑』より。世相をあらわす事件として、これをはさむことで、場面転換に使うことができるなあ。
177年秋、霊帝は鴻都門学を設置する。

北宋徽宗による花石綱(石あつめ)と同じように、腐敗した王朝の事業として、話の転換につかうことができる。

 

黄忠劉備がであう

河東の商圏を追われた劉備は、北で顔見知りに再会するのを恐れて、南陽に流れる。南陽の属吏である黄忠南陽の人)を頼る。このころ荊州には賊の反乱がおおく、馬の販売先として、黄忠南陽の窓口を務めていた縁である。

水滸伝花栄が、理由は分からないが、宋江の知り合いとして登場する。駒田訳399ページ。
花栄が弓の名人ならば、黄忠を充てるのが、もっとも順当。水滸伝』では、花栄宋江との関係性をもつことで、官を追われる。黄忠も失職すればいい。のちに、ここに赴任してきた劉表に、再度、ひろってもらえばいい。
ちなみに『水滸伝』では、宋江と武松が分かれて、武松が二龍山に投ずるが(400ページ)、ムリやりなご都合主義の編纂結果なので、無視してよい。

劉備は、盗賊にであう。

水滸伝』32回では、燕順・王英・鄭天寿が登場する。「女好きの王英」が、物語の重要な旋律になる。王英にあてはめる人物を、おもしろおかしく決めなければ。

盗賊は、劉備の名声を聞いており、心服する。盗賊は、高官の妻をラチしており、慰みものにしようとするが、劉備に止められる。

この「高官」というのが、水滸伝』では劉高であり、この妻は宋江に救われたにも関わらず、宋江を陥れようとする。南陽郡あたりで贅沢している、わるそうな官僚を充てたい。
172年、南陽の新野のひとである曹節は、勃海王の劉悝がワイロをよこさなかったとして、劉悝を葬りさる。南陽は、曹節のホームであるから、曹節に悪さをさせてもいい。曹節の一族のものの妻、もしくは娘とか。
曹節は、一族のものを南陽の属吏の主要部分に据えて、郡政を撹乱していた、とか。

劉備は、女好きの盗賊(王英に該当)に、曹節の一族の女(以下「曹氏」とする)を我慢させる代わりに、いつか女を世話すると約束する。

水滸伝』のヒロインである扈三娘は、だれなんだ。

曹氏は、劉備のおかげで、ぶじに帰れた(ここまで32回)。

劉備は、黄忠に会った(ここから33回)。劉備黄忠に、「私が、曹氏を救ってやった」と話したら、黄忠は、「救わなくて良かったのに」と文句をつける。宦官の曹節に対する反感が、黄忠にこれを言わせたのだった。
劉備が、現地でお祭りを見ていると(『水滸伝』の元宵節)、曹氏のさしがねで、劉備は捕らえられた。黄忠が、劉備のために、「誤認逮捕するな」と弁明しても、曹氏はみとめない。黄忠は、弓の腕をつかって劉備を救出した。黄忠劉備に、「となりの頴川は、都市である。前過を洗い流して、出直すにはちょうどいい」といって、頴川ゆきを勧める。

水滸伝花栄は、宋江に清風山を勧める。

劉備は逃げたつもりが、また曹氏に捕まってしまった。

ここまで、駒田訳416ページ。
175年、三互の法が議論される。つまり、このとき親類を地方長官にして、政治を腐敗させることが流行っていたことが、裏返しによって知れる。南陽太守を、曹節の娘むこがやっている」という設定にして、これを黄忠の上官にしよう。


南陽のとなりは、潁川郡である。頴川太守は、何進南陽の人)である。南陽での騒ぎに関心を持った。

179年、宋皇后が廃されて、何皇后が立てられる。このイベントを、生かさない手はない。曹操も絡むだろうし。
劉備は、いちど頴川に逃げこみ、南陽と頴川の両側から、摘発されるのもよい。何進は、宦官と気脈を通じることで、妹を後宮にあげた。何進は、宦官に利する行動をとる。
水滸伝』では、青州府尹の慕容彦達が介入してくる。これが慕容貴妃の兄である。だからぼくは、何進をこれにあてた。

何進は、劉備黄忠を討伐しようとするが、失敗する。

この討伐に加わり、失敗するのは、黄信・秦明である。秦明は、方面軍のトップとして、強力な存在。黄信はその部下。どちらも、劉備にほんのりシンパシーを懐かねばならない。該当する人物を、探している最中です。
秦明は、花栄と一騎打ちをして、戦って敗れる(花栄の戦さのうまさが、このあたりの見せ場)。秦明は、短気で大声でどなる。
文聘・魏延韓玄あたりを考えるが、ぴんとこない。
水滸伝』は、宋江が、3人の盗賊(燕順・王英・鄭天寿)を味方につけながら、花栄とともに、2人の官軍(秦明・黄信)をやぶって、官軍をじぶんに味方させる話。ぼくが思うに、劉備がもう少し勢力を拡大したあとに、この話をやったほうがいいのかも。
第34回まで、この戦いに費やされる。

盗賊(王英にあたる)は、曹氏を殺して、スッキリする。

劉備黄忠は、幽州に逃れようと思い、北を目指す。辺境ならば混乱しており、ひそむ余地があるだろうと。道中、つよそうな人物がケンカをしているが、黄忠が腕前を見せて、仲裁する。戦っているのは、呂布と夏育であった(35回)

水滸伝』で仲裁されたのは、呂方(呂布もどき)と、郭盛(薛仁貴もどき)である。このシーンを、ほんものの呂布にやらせるために、劉備黄忠のふたりを旅行させて、黒山のふもとに近づける。
176年、鮮卑が幽州に侵入。177年、護烏丸校尉の夏育らが鮮卑を攻撃して大敗する、という史実がある。郭盛を夏育にしてもいいかも。
百度百科によると、夏育は、「夏育早年身為段熲在護羌営的司馬,在与羌人的戦闘中屡次立功,……他為了将功折罪賄賂当時的大宦官王甫,撺掇漢霊帝鮮卑開戦。在漢霊帝的支持和王甫的斡旋下,夏育从高柳県出兵,破鮮卑中郎将田晏従云中郡……」と、王甫に賄賂を送って出撃したことがわかる。
鮮卑に向けて出撃しつつある夏育に、呂布がちょっかいを出して、一騎打ちをやっていたところだったと。後漢の夏育は、しょぼい人物だが、周代の同姓同名の人物とイメージが重なり、強そうに思えてくる。呂布と薛仁貴の一騎打ちという、夢のシーンとなる。
のちに呂布が、劉備と紀霊を、矢によって仲裁するのは、このときのお返しという伏線になる。うまいなあ。


幽州に向かっていると、ある好感が現れ、「わたしは皇室の、ほんとうに高貴な血を信望している。わたしが頭を下げる相手は、劉虞と劉備だけなのだ」という。

駒田訳438ページ。いま『水滸伝』35回。
石勇が、「戴宗と柴進にしか頭を下げない」といって登場する。この好感は、だれにしよう。石勇は、地醜星で、「石将軍は民間伝承上の悪神であり、彼の粗暴な性格と「石」という姓とをかけたことに由来する。容姿は背が高くごつごつした顔立ちの若者で、髭は一本も無い」とある。荊州から劉備を追いかけてきた魏延とか? 劉備が逃げたことを知り、「それなら劉虞さまを頼るべきだ」という、勝手なアドバイスを届けにくる。もしくは、劉備が好きすぎて、劉備の故郷まで押しかけ、劉備の母(『水滸伝』では宋江の父)が危篤という伝言を託されてくる。

魏延劉備に、「幽州にいる劉備の母が危篤だ」という。劉備は、黄忠と別れることにして、帰郷した。黄忠は、荊州で反乱が起きていることを聞いて、駆けつける。

水滸伝』35回では、宋江だけが分離して、みんな梁山泊に流れてゆく。つまり、話を進める都合上、彼らの役割が終わったことを意味する。駒田訳の442ページで、宋江から分離することになるのは、花栄宋江の盟友)、秦明と黄信(花栄宋江のせいで官職に居られなくなった)、燕順・王英・鄭天寿(女を襲ってた3人の盗賊で、花栄宋江に協力)、呂方・郭盛(道ばたでケンカしており、花栄に仲裁される)、石勇(宋江に父の危篤を伝達)。宋江が、花栄を頼るところから、雪だるま式に広がった人材が、退場してゆく。
ぎゃくにいえば、彼らが宋江劉備の手駒としてストックされなくても、劉備物語を賑やかすためのフローとして活躍すれば、それで「おもしろさ」は維持されるのだ。

黄忠は、飛ぶ雁を串刺しにして、腕前を見せつつ、去っていった。みんなと別れた劉備は、久しぶりに帰郷した。

駒田訳444ページで、宋江は帰省する。
宿題を確認すると、秦明と黄信は、頴川太守の何進に駆りだされる官僚で、劉備にやや共感を持っている。王英には、女好きの人物をあてて、燕順と鄭天寿はセット。鄭天寿は、『北方水滸伝』で犬死にするので、アホな死に方をする人物にできたらベスト。「女好きで仲間が犬死にするひと」が王英である。


劉備は、家に帰ると、母親に怒られる。「おまえが、ちっとも漢室のために働く気配がないから、情けなくて呼び出してやったんだよ」と、種明かしするのは、いとこの劉徳然。

宋江の弟の宋清は、劉備のいとこの劉徳然とする。

劉備が在宅していると、追っ手が現れた(35回まで)

劉備が南方に逃れ、孫堅に会う

劉備は、おとなしく涿郡で監禁された。監禁されているところを、袁紹のグループが救ってくれた。

水滸伝』では、劉唐・呉用花栄などが現れる。しかしこれは、宋江を物語のメインストリームに留めようという編者の苦労であって、必然性がない。けっきょく宋江は、梁山泊に合流せず、江州に流されるのだ。おとなしく劉備は、遠方に移ろう。日南にでも流されよう。

劉備が、南へ南へと移動していると、徐州で呼び止められ、現地の役人に手厚くもてなされる。これこそ、戴宗=孫乾である。

水滸伝』36回(駒田訳451ページ)で初出する戴宗は、呉用の紹介ということで、宋江を手厚くもてなす牢役人である。しかし、呉用(荀彧)は、劉備と接点をもつチャンスがない。ふつうに、名声を慕っており……でいいだろう。史実でも、なぜ孫乾らが、劉備を持ち上げるのか説明がないのだ。
なぜ孫乾かといえば、戴宗はおつかい要員だから。


さらに南下して、下邳の国に入ったとき、劉備は毒まんじゅうを食わされる。そこに、孫堅が駆け込んできて、「劉備を殺したらいかんよ」という。

南方の水軍の首領たる李俊は、孫堅とする。水滸伝』の後日談で、南方で独立した王国を立てるというのも、孫堅らしい。
ぼくは思う。孫堅に「劉備を殺すな」と言わせるためにも、劉備には、南陽郡か頴川郡あたりで、士人たちの注目を集める手柄を立てねばらならい。『水滸伝』慕容氏・黄信・秦明を倒した戦いを、劉備のためにアレンジして、孫堅の耳に入るようにしなければならない。そのためには、やはり「宦官の陰謀を砕いた」がベスト。
宋皇后の廃立事件につき、劉備が間接的にポジティブな影響を残している、というのがベストである。考えるべし。

劉備に毒まんじゅうを食わせたのは、孫静である。

水滸伝』李立である。Wikipediaによると、李立は、「渾名は催命判官で、冥府の裁判官という意味。赤い蛟髭を生やし、血走った目をしている。居酒屋を営んでいるが、客を痺れ薬で盛りつぶし、金目のものを奪って殺し、肉を饅頭の餡にしてしまうという追剥酒屋」とある。孫静のイメージとあわないから、この時点までに合流していそうな呉将がいたら、交換する。
水滸伝』李俊と李立は、同じタイミングで出てきて、同姓のくせに、血縁関係がない。分かりにくくて怨めしいので、李立を孫静に結びつけさせた。じつは孫静も、静かなふりをして、李立のように闇塩で儲けて、一族を養っていたのではないか、と妄想したりする。
水滸伝』李俊には、童威・童猛という、まぎらわしい兄弟がいる。孫静と縁がある2人のセットの武将をあてるべき。孫静の子である、孫暠・孫瑜孫皎孫奐あたりに割り振って、消化してしまうのも手である。

孫静は、孫堅にいわれて、劉備を蘇生させた。ここまで、『水滸伝』36回。駒田訳458ページ。

劉備が、膏薬を販売する貧しそうな武芸者(薛永にあたる)にめぐんでやると、地元の顔役(穆春にあたる)に絡まれた。劉備が扱いかねて、地元の家に泊めてもらうと、たまたま顔役(穆春にあたる)の家に泊まってしまった。

穆弘・穆春は兄弟。比定はまだ。ザコでよし。ろくでもなく、威張り散らすのだから、穆春は麋芳、その兄の穆弘は麋竺でどうだろう。 薛永の比定も、まだだが、ザコでよし。
張横・張順の兄弟も、水辺に登場するから、ややこしい。張横は「船火児」だから、ぜったいに黄蓋赤壁の戦いを思わせるあだな。張順は、何日でも潜っていられるという水泳の達人。孫呉でもぐる人といえば、黄祖の船を止めているイカリを潜って切った董襲である。水滸伝』では、張横・張順は兄弟だが、『漢末水滸伝黄蓋・董襲は兄弟ではない。黄蓋は零陵のひと、董襲は会稽のひと。ふたりを兄弟のようみ結びつけるエピソードを作らねば。
脇道にそれた。穆弘・穆春は、呉将から誰かをひろう。 現地の徐州の商人である麋氏の兄弟を、穆氏の兄弟とする。

穆氏の兄弟に追われた劉備が、逃げるために船に乗れば、かっぱらい船。船頭を務める黄蓋が、ぎゃくに劉備を襲おうとする。

水滸伝』では、李俊が現れて、「劉備を殺してはならない」と仲裁する。しかし『漢末水滸伝』では、孫堅黄蓋を討伐して、このタイミングに、ちょうど心服させる、というのでも良いかも。
水滸伝』穆弘・穆春にあたる人物(呉将)も、このとき(第37回)、まとめて孫堅に討伐されて、李俊こと孫堅に屈服してしまうとか。さえぎる者がいない「没遮欄」「小遮欄」という穆氏の兄弟だから、突進する系の呉将で、初期からのメンバーがいい。ザコも可。

 

劉備が揚州で危機に陥り、袁紹が救う

さて(駒田訳469ページ)劉備は、宦官の息の掛かったもの(原典の蔡九)の手許に、収容される。
牢役人の戴宗こと孫乾は、劉備のことに気づいて、態度を変える。

原典の38回。孫乾は北海のひと。原典は、李俊のくだり→戴宗のくだり、という順序である。しかり、劉備の移動経路を考えると、戴宗こと孫乾のくだり→李俊こと孫堅のくだり、としないと成立しない。いや、孫乾が故郷を離れて、州のあちこちで就職しているのかも。鄭玄に推挙されるくらいの人物らしいので、下邳に流れてきていても、おかしくない。

戴宗=孫乾のもとには、李逵張飛がいた。張飛は、劉備と同郷であるが、肉屋を継がずに、天下に人物をもとめて、ウロウロしていた。張飛は、同郷の人物が徙刑を受けている最中と聞いて、孫乾に頼んで、劉備に会わせてもらう。
張飛は、ばくちのカネを劉備からもらい、劉備を慕うようになる。張飛は、劉備のために、おいしい魚を捕ろうとして、張順こと董襲と水辺で戦う。董襲と張飛は、仲直りする。ここまで、38回。

ここから39回。劉備は、李逵に魚を食わされて腹をこわし、腹いせに壁に、謀反の詩を書いてしまう。孫乾が、「キチガイのふりをして、取り調べを逃れろ」という。

徐州刺史は、東海郡の郯県である。このときの徐州刺史を調べる。宦官の息のかかったひとがいい。原典では、蔡京の親族(蔡九)が仕切っている。

孫乾は、徐州刺史の命令で、洛陽にいる宦官に、裁きをあおぐ。しかし途中の汝南で、袁紹のランニング・フレンドに捕まってしまう。荀彧は、判子を偽造して、劉備をたすけだそうとする。袁紹のもとには、書家(蕭譲にあたる)と、判子屋(金大堅にあたる)がいる。

蕭譲と金大堅の比定もする。蕭譲は、いくらか候補がいそうだが、金大堅はどうしよう。
水滸伝』戴宗をとらえるのは、梁山泊のふもとの食堂の朱貴。朱貴にあたるひとを、まだ決めてなかった。奔走の友のなかから、食堂っぽいひとを探そう。兵站を担当するし、旱地忽律(かんちこつりつ)で、陸のワニという意味の仇名をもつなら、朱貴は淳于瓊がいいかも。蒼天航路』で、ニっぽかったし、烏巣で兵糧を守るし。
朱貴の弟の朱富だが、淳于瓊に兄弟がいないので、とても困る。淳于丹という『三国演義』オリジナル武将がいて、陸遜の配下らしい。名前を借りてもいいかも。袁紹軍のなかにいたが、(袁紹軍をやぶった)関羽に恨みをもち、関羽と敵対する孫呉に味方して……ちょっとムリかなw


ここから40回。孫乾が、袁紹から託された偽造文書は、徐州刺史によって偽造だとバレてしまう。孫乾劉備(戴宗・宋江)は、徐州刺史によって処刑されそうになる。そのとき、袁紹の仲間たちが、劉備を助けてくれる。水路を伝って逃げる。
袁紹の仲間と、劉備が徐州で出会ったひとたちが、「白龍廟の小聚義」をやる。
ここから41回。

孫堅軍が、徐州軍と衝突しては、史実から狂ってしまう。

もともと徐州刺史に、劉備を殺せと仕向けたのは、黄文炳にあたるひとである。袁紹劉備が、隣の家に放火して、「隣の家が火事です」といってなだれこみ、黄文炳にあたるひとを攻め滅ぼす。黄文炳にあたるひとを切り刻んでしまう。

黄文炳の家のことを知っている、通臂猿の侯健が、この作戦に協力する。服色の仕立て、図面やデザインを担当する。袁紹のもとにいる、こういう才能をもったひと、誰かいなかったっけ。
顧雍を、東晋の画家の顧愷之の祖先ということにして(←ウソ)、この活動に協力させようか。顧雍は、蔡邕にほめられた才能の持ち主。余技として、デザインもやったと。顧雍は呉郡のひと。顧雍を「現地の勝手を知るひと」にするため、劉備をおびやかしたのは、揚州刺史ということにしようか。揚州刺史のほうが、反乱との絡みがおおくて、史料に名前が残っており、悪者を設定しやすい。


徐州 揚州から劉備を救い出すと、一行は盗賊らと遭遇する。

摩雲金翅の欧鵬(4人のトップ)、神算子の蒋敬(計算ができる)、鉄笛仙の馬麟(笛がうまい)、九尾亀の陶宗旺(土木工事ができる)である。この、読者を置いてきぼりにした設定に付き合うのか。必ずしも108人に付き合わないでも、いいような気がしてきた。
4人は、泰山の諸将にしよう。臧覇、孫観、呉敦、尹礼。数も合うじゃないか。

袁紹は、劉備をトップに担ごうとしたが、それは単なるポーズであり、その気もない。劉備は、それを弁えており、袁紹に礼をいって、故郷に帰る。

13~22回、晁蓋=袁紹、宋江=劉備

袁紹の初期メンバーがそろう

孟他が張譲へのワイロを準備しているのはさておき。

水滸伝』は13回の途中で、朱仝・雷横の目線にかわる。朱仝・雷横が、劉唐を捕らえて、それに晁蓋が結びつき……と、「本紀」の話が始まる。『漢末水滸伝』においては、ついに袁紹が登場する。

関羽徐晃は、ともに河東郡の属吏であった。

ふたりとも河東郡の出身なので。
朱仝を関羽として(朱仝は見た目が関羽という描写がある)、雷横を徐晃とする(関羽と同郷の有名なキャラだから。徐晃は暫定)。

関羽徐晃は、霊官廟で、あやしい人物を捕らえた(ここまで13回)。その人物とは、顔良である(ここから14回)

劉唐(赤いあざから赤毛が生えている)を、かりに顔良とする。袁紹軍に属するひとで、知性よりも腕力のひとを探して、てきとうに文醜にした。文醜もどこかで合流させたい。登場して早々に、関羽と戦う」というシーンを作れるから、『三国演義』のいい伏線になると思う。


袁紹は、宝塔をかついで声望を得た名士である。同士を天下に求めるために、各地を旅していた。

袁紹晁蓋とする。これは固定。

関羽徐晃に捕らえられた顔良袁紹が「顔良は私の従子である」と口裏をあわせて、徐晃にワイロを払ったので、顔良は釈放された。
そのころ袁紹は、荀諶(荀彧の兄)に、生辰綱を奪うことを提案される。「涼州から洛陽に、財宝の行列が運びこまれる。人民から搾取した財産なので、奪って再分配すべきだ」と。袁紹は、義に感じて賛同する。

呉用を、荀諶(荀彧の兄)とする。荀諶が袁紹と合流した時期は明らかでないらしく、袁紹冀州をうばう策を授けた以外、あまり記録がない。袁紹の初期からの軍師として、荀諶を設定する。
呉用は人気キャラなので、中途半端な袁紹軍の策士を充てることができない。荀彧の兄ならば、大活躍しても、みんなが納得(だと思います)。
ただし、宋江劉備は、『漢末水滸伝』のなかでは袁紹晁蓋と、つかず離れずで行動させる予定。劉備を援助する名士を設定して、呉用の役割を分担させる必要がある。
@osacchi_basstrb さんはいう。呉用については荀諶の大活躍も凄く見たいのですが、うっかり軍師荀彧もカワイイので見たいとも思います。しまった!ハンコ間違えた!なんて
ぼくは思う。呉用は軍師としての本命なので、荀彧にしましょう。ほかに軍師らしいキャラが出てこないので、荀彧を割り当てないと、もったいないですね。

顔良は、「北斗七星が屋根におちる夢をみた」といえば、荀諶は、「生辰綱を奪うには、星の数に合わせて、7人が必要だ」と決めつける(ここまで14回)
人数を集めるために、人材に思いを巡らせていると、袁紹がいう。「冀州刺史の劉焉は、私の志に理解がある。彼に協力を求めたら、人数が集まるのではないか」と。
劉焉は、3人の子を、袁紹にゆだねる。劉範・劉誕・劉璋が加入。

三男の劉瑁を、かりに削除している。ただし、劉備の妻になる呉氏のはじめの夫というキャラが活かせそうなら、劉瑁を復活させて、劉誕を削除する。劉誕の行動は、兄の劉範に近いため。
水滸伝』阮小二・阮小五・阮小七という3兄弟を登場させるために、劉焉の子供たちをひいてきた。阮小七(劉璋に比定)は、方臘の乱の平定後、天子の衣を着用してふざける。劉璋に似ていると思います。
そして劉焉を登場させるのは、『水滸伝公孫勝に該当するひととして、張魯を登場させるため。のちに劉焉は、張魯を漢中において、五斗米道の基礎をつくらせる。劉焉と張魯が、この段階で知りあいだったという想定。晁蓋呉用公孫勝を、袁紹・荀諶・張魯とする。
劉焉は、江夏郡の出身である。水際の出身なので、彼らの兄弟が、船の扱いに慣れていた……、という設定を加えるか。『水滸伝』阮氏の兄弟は、船を扱ってサポートする。

劉焉の紹介で、袁紹は、沛国の張魯を味方にする。

水滸伝公孫勝を、張魯とする。
ここまで第15回、駒田訳では179ページに登場。16回に入って、ついに生辰綱を奪う作戦が整い、水滸伝』は輸送者のがわの視点(楊志)にもどる。駒田訳で184ページ。

ろくでもない人物、許攸も参加する。

水滸伝』白勝は、拷問を受けて、仲間の名前を吐いてしまうひと。この裏切りのロクでもない感じと、にも関わらず活躍の場があることから、白勝=許攸 としてみた。

 

馬騰が、袁紹に生辰綱を奪われる

馬騰は、涼州から、長安をとおりすぎて、洛陽にいくまでの道を検討する。炎天下で疲れてしまう。袁紹たちに、しびれ薬を飲まされて、馬騰は荷物を失った(第16回)。
荷物を失った馬騰は、孟他に顔向けできず、やけ酒を飲んでいると、○○が現れ、「あそこにいけ」と案内してもらう。

○○は、曹正である。居酒屋をいとなみ、武芸もできて。物語としては、後漢の官僚がわの人物がいい。なぜなら馬騰は、黄巾の乱の時点では、官軍に属するから。
水滸伝』17回で楊志は、ここで魯智深に出会う。というのも、魯智深は放浪を続けており、二龍山の鄧龍に拒まれたところだと。鄧龍とは、Wikipediaによれば、二龍山の山賊の頭領。魯智深の入山を拒否したが、楊志の策略にかかって魯智深に殺され、二龍山を奪取される。
本作では、魯智深韓当は、徐州に落ち着いている。ここで楊志馬騰が会うのは相応しくない。
ところで、偶然だが、『三国志』には、劉表の配下に鄧龍という人物がいる。荊州北部に鄧龍が陣取っており、そこに馬騰が転がりこむという話にしようか。すると、馬騰荊州入りを斡旋する人物(『水滸伝』曹正に該当)としては、張済にしようか。張済は董卓の死後、荊州北部に拠る。荊州北部は、張済が若いときに出稼ぎにきていた、ゆかりの地だったと。
このあたり、『水滸伝』において、「楊志が盗賊になる」という結論ありきで、むりに魯智深と結びつけられた話だろうから、どうでもなる。ぼくも「馬騰が行き場を得る」という結論があれば、なんでもよいのだ。時期を遅らせるのも手である。
水滸伝』の趣向は、曹正と楊志が「魯智深を捕まえた」と山塞の鄧龍に突き出して、鄧龍が「よし引き渡せ」と言ったところを、じつは曹正と楊志魯智深が仲間であり、鄧龍から山塞を乗っ取ると。
馬騰涼州で賊になるとき、使えばいいか。

馬騰は逃れて、涼州刺史の交替を待った。

楊志魯智深は、同郷という設定。涼州の出身者で、このあたりをウロウロしている人物を、ほかに出せないか。史実ベースでもいい。
水滸伝』は、張青とその妻(孫二娘)に合流する。しかし説明過剰になる。水滸伝』で、人物を整理するためにストーリーをねじまげたとしか思えない。べつに、張青=劉安と合流する必要はない。
水滸伝』は、楊志(落草者)、魯智深(落草者の先輩で鄧龍に拒まれる)、曹正(落草者をそそのかして鄧龍から山塞を奪う)、張青と孫二娘(たまたま合流)、武松(武十回のあと行き場を失い、張青との縁でこじつける)が、青州に集まってくる。
『漢末水滸伝』では、べつに青州の勢力をつくる必要がない。各人のエピソードをバラバラに紹介して、『三国演義』の伏線になればいい。

のちに耿鄙が涼州刺史となる。馬騰は、耿鄙の募集に応じて、涼州の反乱を収めるために協力する。

やがて耿鄙は、不正な政治によって殺される。耿鄙を殺すとき、馬騰が『水滸伝』17回の手法を使ってもいい。女房役の、曹正・魯智深は、涼州のべつの反乱勢力(韓遂や辺章など)を充てればいい。


生辰綱を失った孟他は、馬騰が逃げたことを知った。馬騰の探索のため、責任者を決めて、期限を区切った。

水滸伝』17回で、何濤は、ひたいに「迭配_州」と彫られて、楊志の探索を命ぜられる。
『漢末水滸伝』では、このときの京兆尹あたりが、何濤の役回りだろう。京兆尹は、楊彪としても、列伝と矛盾しない。108人の員外だけど、何濤=楊彪と。

京兆尹の楊彪は、きびしく調査した結果、袁紹らが犯人ではないかと情報を得る(18回)。そしてびっくりする。

楊彪の妻は、袁術の妹である。袁術の妻は、楊彪の妹である。袁紹と、いわば義兄弟になる。

楊彪は、許攸に口を割らせる。

のち(武帝紀によれば光和末=184年)に許攸が、霊帝を廃そうとするが、曹操が断る。許攸に、こういう暴露の前過をつくれば、曹操が許攸の計画をこばんだ理由になる。たかがドロボウですら、口を割ってしまうのに、なぜ廃立なんて成功させられるのかと。

楊彪は、袁紹・許攸らをこっそり逃がす。

水滸伝』では、宋江晁蓋をにがす。しかし『漢末水滸伝』で、宋江こと劉備が、京兆の役人をやっているハズがない。水滸伝』何濤(取り調べる人)と、宋江(こっそり逃がす人)は、どちらも楊彪にやらせる。
袁紹は、(『水滸伝』で晁蓋宋江に感謝するように)楊彪に感謝する。楊彪のほうでは、漢の役人としてはマズいことをしたが、ひとりの人士としては悪いことをしていない……はずだ……と悩む。その葛藤を描いたほうが、おもしろい。
水滸伝』18回で、朱仝・雷横が、にげた晁蓋を捕らえにゆき、逃亡に手を貸す。しかしぼくは、朱仝を関羽にするために、彼らの居場所を河東にしてしまった。京兆で起きた盗難事件を、関羽徐晃(朱仝・雷横)が調査することができない。
京兆の出身者で、袁紹の逃亡に協力しそうなひとがいたら、あとで追加する。


袁紹は、逃げて、行き場を探す。故郷の汝南を目指すとき、張譲の意を受けた、宦官の王甫の手のものに、財産を襲われる(ここから『水滸伝』19回)

水滸伝』19回で晁蓋らは、追撃してきた何濤の耳をそぎ落としてしまう。これをどう扱うか。
のちに楊彪は、宦官の王甫を摘発する。楊彪伝に、「光和年間、黄門令の王甫は門生に郡境で官の財物七千余万銭を横領させた。楊彪はその悪事を暴いて司隷(校尉)に告げた。司隷校尉の陽球はこれを受けて上奏を行い、王甫を誅殺した」とある。注釈に「華嶠の書に曰く。王甫は門生の王翹に利益を独占させた。霊帝紀に見える」とある。
逃亡する袁紹を、王甫の手のもの(王翹)が追撃して、『水滸伝』19回にあるように、袁紹らが巧みに逃亡して、王翹の耳をそぐに至る。というのは、どうかな。

袁紹らは、各人の特技を披露しながら、うまく逃げおおせる。

水滸伝』19回で、晁蓋梁山泊に入る。そのために林冲が王倫を殺す。ぼくの『漢末水滸伝』では、梁山泊の要素をもつ拠点として、黒山を設定した。しかし袁紹が、ここにゆくのはおかしい。そろそろ、おじの袁隗が出てきて、「そろそろ就職しろよ」と叱ってくれてもいい。
器量の乏しい王倫が、水滸伝』19回(駒田訳227ページ)で殺されるが、それは別の機会に。184年以降、張燕が黒山にくるとき、張燕晁蓋の役割を演じて、さきの頭領の器量の小ささを笑えばよい。そのとき、呂布林冲に比する)は、張燕が上に立つのを支持する。呂布が、黒山の頭領に推される(林冲に同じ)。しかし、そのことで名を知られ、丁原に召集されると、丁原への恩愛を重しとみて、下山する。

袁紹は、地下にもぐった。

水滸伝』20回では、晁蓋を頂いた直後、済州から討伐軍がきたり(駒田訳237ページ)、通りかかった商人から財物を盗んだり(駒田訳239ページ)する。このあたりは、適当に裁く。結論は、「われわれは人は殺さないぞ」と晁蓋に誓わせるところにある。

 

劉備が婆惜を殺して出奔する

幽州の劉備は、盧植(=王進)のもとで学んだが、その教訓を生かすことなく、武芸にものをいわせて、并州張遼と組んで、北辺で馬商人をしている。

時系列からして、この話は、まったく独立しており、どこに入れてもいい。盧植(=王進)が、趙雲公孫瓚(=史進)と出会ったあとなら、どこから始めてもいい。いちおう「主役」なので、早く登場させたい。
張遼を出すのは、『水滸伝』20回の「張文遠」に充てたいから。劉備張遼は、ひとりの女を奪いあって、決裂するのだ。

劉備は、閻婆惜と付き合っている。閻婆惜は、張遼のほうが好きだから、劉備がべつの場所に商いをしているとき、閻婆惜と遊ぶ。

水滸伝』で、宋江晁蓋から手紙をもらい、その手紙をカタにして閻婆惜にゆすられ……という、「志の物語」にしたのは、編者のご都合主義らしい。もともと宋江は、『水滸戯』などにおいて、ただ女とモメるだけの人物。
ただし、劉備がカネを預かって、それを閻婆惜が欲しがる、という、「カネの物語」ならば、『水滸伝』に盛りこんでもいいかも。商人として預かったカネという設定。ここで『水滸伝』第20回が終わり。

劉備は、閻婆惜を殺してしまう。

水滸伝』21回。漢末の小説っぽくするため、「閻氏」という書き方がいいだろう。
水滸伝』22回で、朱仝が宋江をゆるす。つまり、劉備が閻氏を殺す場所は、関羽(朱仝)が役人をつとめる、河東郡であるべきだ。北方で仕入れた馬を、河東郡に運んできて売りさばく、というルートで、劉備張遼が商いをしていたことにしよう。閻氏は、彼らの商圏でもっとも都会である、河東郡で囲われていた。ありそうな話。

閻氏の母は、娘が劉備に殺されたことを訴えた。河東郡では、関羽徐晃(朱仝・雷横)に、劉備の捕捉を命じた。劉備は、現地に住居を構えていたが、

水滸伝』22回で、宋江は実家におり、父の宋太公が守ってくれる。しかし、事件を并州の河東で起こしたいから、劉備の実父が出てきたらおかしい。馬商人の首領劉備の上司)を設定するか。

捜索を受けて、関羽に見つかってしまう。だが関羽は、劉備にも言い分があったことを感じており、義によって見逃す。劉備は、劉虞(=柴進)のところに匿ってもらう(22回)

ここで『水滸伝』は、武十回に移る。武十回は、「程十回」としてすでに裁いた。

7~13回、林冲=呂布、楊志=馬騰

三国志と『水滸伝』が融合した話をつくる計画
という遊びをしています。『水滸伝』の駒田信二訳を見ながら、漢末・三国に比定していく作業をします。『漢末水滸伝』というタイトルを考えています。

林冲=張奐という、ボツ案

霊帝が即位した168年、張奐は涼州から凱旋した。

涼州の戦線は、後任の董卓にあずけてきた。董卓の動きを、どうやって物語に絡ませるかは、また考える。水滸伝林冲を、張奐に割り振ろうか、悩み中です。

そのとき張奐は、宦官たち(本作の悪役)にだまされて、陳蕃を殺した。もしも張奐の正義に従って行動するならば、陳蕃をサポートするべきだったのに。
169年、青蛇が帝座の軒の上に現れた。雹が振り、落雷が樹木を裂いた。その意味を問われて、張奐が、「陳蕃の名誉を回復すれば、吉兆になります」といった。前年の過ちを、せめて修正しようとした行為。
張奐は、宦官にうとまれて、帰郷させられた。

このあたり、『後漢書』張奐伝をみてます。
張奐は、181年に死ぬ。ぼくの『漢末水滸伝』は、175年に盧植が中央を去るところから始めたい。175年当時に、張奐が、宦官(や宦官にくみした段熲)とトラブルを抱えていたとしても、なんら不思議ではない。
水滸伝』で林冲は、高俅の養子に、妻を横恋慕される。張奐の妻を、張譲(もしくはその弟の張朔)が横恋慕するというのは、年齢的にリアリティがない。張譲の縁者に、妻を横恋慕されるという被害者は、べつに設けることにして、林冲=張奐で、もうちょい押してみるか。いや、洛陽で生活していて、武術がつよいイケメンを林冲にしたいな……。だれかいないかな。


張奐が宦官とトラブルを起こしているのを見て、盧植は、幽州への帰郷をきめる。というところで、『漢末水滸伝』の物語が開幕する。
いっぽうで張奐は、わなに嵌まって、誤って刀をもって、天子のそばに接近。

林冲の妻のことを省いて、張奐を造型すると、「陳蕃の事件に関して、宦官ともめる」→「宦官が張奐をワナに嵌めて、地方に追い落とす」となる。やっぱり、妻のことがほしい。林冲は、べつにひとだなー。
というか! 林冲呂布でいいじゃないか。と思い至り、「林冲 呂布」で検索したところ、むじんさんのツイートに行き着いた。
‏@yunishio 2011年4月22日 『水滸伝』の林冲は異名を豹子頭といい、これは『三国演義』の張飛の風貌の形容。また小張飛とも呼ばれ、得物は同じく一丈八尺の蛇矛。林冲はもともと容姿も性格も張飛に似せられていたことが分かるが、のちに夫人の悲劇的な話が追加されたため紅顔の青年に化けた。これは呂布に髭がないのと同じ理由。
はあ、林冲=張奐で、ゴリ押ししなくてよかったw
宦官との複雑な対立関係をもった、張奐というキャラも、どこから絡ませられたら嬉しいので、これは削除せずに置いておきます。

 

林冲呂布として、やり直し

張譲のやりくちが汚いのは、『後漢書』宦者 張譲伝に、

是時,讓、忠及夏惲、郭勝、孫璋畢嵐栗嵩段珪、高望、張恭韓悝宋典十二人,皆為中常侍,封侯貴寵,父兄子弟布列州郡,所在貪賤,為人蠹害。

とあるように、父兄・子弟を州郡の長官にしたこと。
のちのことですが、

南宮災。讓、忠等說帝令斂天下田畝稅十錢,以修宮室。發太原、河東、狄道諸郡材木及文石,每州郡部送至京師,

とあるように、張譲は、宮殿をつくるために、并州の方面から、物資を調発するルートをつかった。張譲の身内を、并州刺史にして、呂布の妻に横恋慕させるという設定にゆくことができます。

宮殿の建設にばかり、ウツツを抜かす霊帝。それを諌めるどころか、便乗して、人民を苦しめる張譲。その手先として、并州刺史になっていた張譲の身内(張朔とか)は、呂布の妻に目をつける。
張朔は、呂布の妻に、ちょっかいを出す。

水滸伝』7回にある。『水滸伝』では、魯智深とつるんでいる林冲だが、べつに魯智深がなくても、この話は成立する。
呂布が、女性がらみで悲劇性を帯びるのは、『三国演義』で貂蝉のことが起きるとするなら、ぜんぶで2回になる。この『漢末水滸伝』で、「董卓貂蝉にそういうことしたら、もう呂布董卓を斬るしかないよな」と、いかにもありそうな伏線を張ることができたら、林冲からの移植は成功。
ところで、『水滸伝』で林冲の並走者(会話役)として、魯智深がいる。魯智深韓当を割り当てたが、この作品では韓当を出せない。なぜなら、韓当は幽州、呂布并州だから。上官の丁原に、ときどき呼び出され、「勤務に身が入っていないみたいだが、どうしたの?」と聞かれればよい。


呂布は、だまされて剣を買わされ、その剣をもって誤って作戦会議する場所に立ち入ってしまう(『水滸伝』7回)。呂布は朔北に追放されることになる。
徒歩で行かされるが、足のウラが痛くなる(『水滸伝』8回)。呂布は、護送役の役人に、殺されそうになる(『水滸伝』9回)。

水滸伝』だと、林冲魯智深に救われる。しかし魯智深はいない。様子を怪しんだ丁原が、助けにきてくれる。丁原呂布の親愛を描いておくのも、なかなか悪くないと思うのです。

丁原は、呂布の待遇改善をもとめて、護送役に承諾してもらうが、徙刑そのものを中止するだけの権限はない。張譲・張朔の目が光っているから。
「有能な右腕の呂布を、どうして失うのだ」
と、丁原自身も、宦官に敵愾心をつのらせる、、というのは、史実に連結して、なかなかいい設定。

水滸伝』9回では、つぎに林冲は、柴進のところにゆき、洪教頭をうちなおして、腕前を確認する。しかし、呂布が強いことなんて、自明なので、このシーンをむりに挿入する必要はない。


朔北に到着した呂布は、牢獄に入る。丁原が、カネを出してくれたから、待遇は悪くない。(異民族の進攻に対する)見張りなどのラクな仕事をさせられる。
しかし、張譲の魔手は、こんな辺境にも及んでおり、雪のなかで見張り小屋がつぶれて、火まで点けられる(『水滸伝』10回)。うっかり、殺人事件をしてしまった呂布は、いちばん良い馬を盗んで、丁原のところに駆けこむ。

水滸伝』では柴進がこの役割を果たす。しかしぼくは、柴進を劉虞にしてしまったから、ここに登場させることができない。

丁原は、黒山に逃れることを提案する。

水滸伝』11回では、梁山泊が出てくる。梁山泊にならぶ、反乱の拠点といえば、黒山かなーと。并州から行けるし。『水滸伝』の王倫にあたる人物は、張牛角にしよう。彼は、少なくとも黄巾の乱までは生きていたという設定だが、さらに先代の頭領の名が分からないので、前倒しで死んでもらう。
水滸伝』で、朱貴・杜千・宗万にあたる人物は、黒山賊のなかから選出する。朱貴は、弟の朱富とともに108人に含まれるので、モレなく割り振る。
水滸伝』では、王倫が林冲に斬られるけれども、そのトップの首を交換する時期を、184年よりも遅らせれば、張牛角が黄巾に呼応でき、史実との齟齬は防げるのか。王倫の下で、悶々とする呂布。けっきょく、張燕が入山したときに、いよいよバカらしくなって、丁原のもとに帰っていく。これが、180年代の後半。よし、これだな。


牛角が提示した、呂布が黒山に入る条件は、通りがかりの人を殺すこと。呂布は、もともとこの地域で、建築資材の調発があったことがキッカケで、張譲とのトラブルをかかえた。どうせ襲うならば、建築資材を運搬する部隊がいい!と考えた。

物語の全体を通じて、張譲がきちんと悪役になってほしい。

そこに通りかかったのは、馬騰の輸送隊だった。

楊志こと馬騰については、ちょっと事情が複雑です。
楊志は、『水滸伝』よりも前の『宣和遺事』で、花石綱の運搬に失敗する。その失敗の仕方は、運搬の途中に、同行者である孫立(孫立のキャラは『水滸伝』とは異なる)とはぐれる。孫立を待っているうちに、雪は降るわ、資金は尽きるわで、帯刀を売ろうとするが、値段交渉でもめて、相手を斬ってしまう。殺人をしたんだから、この輸送は失敗ね、というオチがつく。まあ、原因をつくった孫立は、あとで護送される楊志を救い出してくれるのだけど。
この花石綱の失敗が、『水滸伝』では描写されず、ただの説明として、「嵐のせいで、船が沈没した」という、不可抗力なものとなり、過去に押し込まれる。『漢末水滸伝』では、リアルタイムで、楊志こと馬騰に失敗をしてもらいたい。

馬騰は、并州方面の輸送に駆りだされていた。黒山のそばを通ったときに、呂布から声をかけられて、一騎打ちをする(『水滸伝』11回)。一騎打ちの最中に、資財は黒山賊に盗まれて、輸送に失敗する。

楊志こと馬騰が、刀の販売をして、トラブルを起こしてしまうのは、また別の機会にやる。『水滸伝』でも、次に出てくる。

 

楊志馬騰の転落人生

張譲に、建材の運搬を失敗したことを攻められて、腐った馬騰は、とりあえず故郷に帰ろうとする。祖先の馬援から伝わる、宝剣をともなって(『水滸伝』12回)。
馬騰の吹毛剣を、むりやり安く買おうとしたガキが現れ、馬騰はガキを斬ってしまう。罪せられた馬騰を、処刑してしまうのは惜しいと目を付けたののが、涼州刺史の孟他。張譲にワイロを送ることで、今日の地位を手に入れた人物。

水滸伝』12回では、北京大名府の梁中書です。梁中書は、高俅にマカナイをする。孟他といえば、張譲へのワイロ。完全に一致。

孟他は、罪を許す代わりに、馬騰の腕試しをする。馬騰は、呂布には一騎打ちで劣ったけれど、涼州の軍官たちを、どんどん撃破する。

水滸伝』12回で、梁中書のきりふだは、急先鋒の索超である。急先鋒の索超にあたる人物を設定しなければ。
@osacchi_basstrb さんはいう。索超の比定難しいですが世代違いでも徐晃を討ち取った孟達(演義の)をイメージしました。寝返りの急先鋒孟達
出身地から見ても、そこにいて不自然ではないので、アイディアを頂戴します!腕自慢の息子をくり出してみる、という孟他は、いいキャラになりそうです。

馬騰を評価した孟他は、生辰綱(誕生日プレゼント)を送るための、輸送隊を馬騰にまかせる。

しかし、馬騰の運ぶワイロを、洛陽の手前で奪い取ろうとする、ひそかな計画が、洛陽の高官の子弟たちのあいだで、練られていた。150501