水滸伝に同居する本紀と列伝

◆好漢たちの話の寄せ集め?

水滸伝は、よく、豪傑・好漢たちの物語だといわれる。

はじめのほうだけ読んで挫折する(じつは大半の)読者は、史進魯智深林冲……と、主人公がつぎつぎに交替していくところだけしか読まない。だから、『水滸伝』全体のストーリーを、じっさいの(訳文でもいいから)テキストで読むことがない。だから、好漢の数珠つなぎの話が、『水滸伝』だと決めつける。
解説本を読むと、好漢が108人そろったら、朝廷の招安を受けて、各地を討伐するというのが結末だと知る。それで分かった気になる。
そういう全体のストーリーなら、読まなくてもいいや、という気になる。

たとえば三国志だと、無位無官の人物が就職して、国をつくっていく過程、国同士が争っていく過程がおもしろい。しかし梁山泊の人々は、集まったかと思いきや、各地を連れ回されてすぐに壊滅するのだから、国をつくり、いとなむところの面白さを読めない。

けっきょく、史進魯智深林冲……といった、個人の話を、(文学史的な経緯がなにやら、あるらしく)寄せ集めたのが、『水滸伝』か、という気になる。

◆『宣和遺事』との関係

水滸伝』の元ネタとして、早い段階に現れたのが、『大宋宣和遺事』。
昨日、これを読みましたが、『水滸伝』に関しては、おおきく3つの話しかない。

 ① 楊志花石綱の運搬に失敗して、孫立に救われる

 ② 晁蓋らが生辰綱を奪って、宋江に救われ、梁山泊に逃げる

 ③ 宋江が36人の名簿を天女にもらい、梁山泊首領となる

たった3つしかない元ネタですが、なんと『水滸伝』では、①楊志の運搬失敗を、テキストのなかで描かない。かつて花石綱の運搬に失敗した楊志が、立場を取り戻すために、梁中書のもとで索超を叩きのめす、という話から始まる。
結末のバレた回想談は、物語をスポイルする。


となると、『宣和遺事』から借りてきた、『水滸伝』のメインストーリーは、②晁蓋が生辰綱を奪ったところ、晁蓋を捉える動きを役人の宋江が察知して、宋江晁蓋の逃亡を助け、③役人の宋江も落草して、梁山泊にいく、というだけになる。

第十三回で、晁蓋が登場する伏線が張られ、第十四回で晁蓋が登場する。このあたりで、それまで描かれていた「好漢の列伝」から、『宣和遺事』に出典をもつ「晁蓋の本紀」への接続があって、話がギクシャクする。

晁蓋の本紀」は、第二十二回に、宋江が柴進に身を寄せて、武松に出会ったところで、またギクシャクする。居場所を失った宋江は、柴進のところになど行かずに、まっすぐ花栄を頼ったほうが(第三十三回)、物語の構成として自然だし、内容としても宋江の行動に一貫性ができる。
「武十回」をはさむために、宋江に道草を食わせていることが、よく分かる。

◆遅れて算入する魯智深

『宣和遺事』の三十六人に遅れて算入するのは、3人。

まず、官軍から吸収される呼延灼。これは『水滸伝』にも受け継がれた設定。というか、官軍からの算入という意味では、索超・関勝あたりも同じ。官軍が討伐にくるというイベントは、必然性があって楽しい。

つぎに、「一丈青の張横」。Wikipediaをそのまま引用する。

『宣和』で本文中に登場しながら一覧にいない「一丈青・張横」という人物は、『水滸』の「船火児・張横」との関連を思わせる。しかし『宣和』の方には「火船工・張岑」という人物がおり、あだ名から考えるとこちらの方が近い。いっぽう『水滸』では「一丈青」というあだ名を持つ「扈三娘」(第59位)という人物が別に登場している。
……といった具合に、物語的に解体しており、一概にはいえない。


最後が、魯智深

これが重要なのです。『水滸伝』でも、李応が呼延灼の馬をぬすみ、魯智深のもとに逃げこみ、青州軍に目を付けられた魯智深は、梁山泊に助けをもとめ、「三山」が結集して青州軍を追い返し……という話になってる。

しかし魯智深は、味方になるかと思いきや、「武十回」を帯びた武松をつれて、「好漢の列伝」の冒頭を飾った史進を迎えにゆく。梁山泊は、行動を怪しんで、戴宗を見張りにつける。
史進は、窮地に陥っており、けっきょく梁山泊が助けると。

魯智深が、ちっとも仲間になった感じがしない。

たしかにこれ以降、魯智深は歩兵をひきいるという記述がある。
しかし、史進魯智深林冲楊志・武松といった「好漢の列伝」をもつ人々は、あまり活躍しない。李逵・戴宗らが、せっせと宋江のために働き、出番を増やしているのとは、おおちがいです。

彼らは、『宣和遺事』のときから、宋江と距離がある。宋江と対等とはいわないが、扱いにくいトザマという感じ。そりゃ、『水滸伝』成立史の段階から、距離があるのだから、かんたんには手下にはならんよなー。


宋江の話が先にあった。李逵の伝説は、うまく吸収された。しかし、魯智深・武松らの伝説は、『水滸伝』の編者も吸収しかねた。
だから『水滸伝』では、「魯智深が二龍山にいることを、覚えておいて下さい」というメタなことを書いて、平気で50回分くらい、登場させない。

◆本紀と列伝の接続の痕跡

この記事で言いたかったのは……、
水滸伝』は、最初だけ読むと、好漢の話の寄せ集めだという印象が強い。しかし、晁蓋宋江を主人公にした、『宣和遺事』に来歴をもつ「本紀」のような話が軸にある。そして、その前に、『宣和遺事』には出てこない、好漢たちの「列伝」のような話を置いた。
接着は、あまりうまくいっていない。というか、ほんとうに接着(というか混合)するなら、『北方水滸伝』みたいに、ゴチャゴチャに再構成する必要がある。『水滸伝』では、そこまでは目指されていない。

晁蓋本紀に接続するときは、生辰綱の奪われ役(敵役)の楊志の列伝から、ややギスギスして、話の主人公の目線がうつる。武松列伝に接続するときは、宋江が柴進のところにいって(のちにあまり効いてこない関係を取り結び)武松と会う。

武十回(武松列伝)から脱出するときは、これまた、なんの必然性もないのに、ばったり、武松が宋江と再会する。

今日は書かなかったが、祝家荘の戦いが、たいした複雑な話でもないのに、退屈にまのびするのは、あいだに石秀・病関索・孫立の話が入ってくるから。
けっきょくは、孫立が祝家荘に入りこみ、梁山泊のために内応するだけの話なのに、登場人物がおおいせいで、ウンザリする。これは、本紀のあいだに、列伝をブチこんだから。


紀伝体の用語を借りて『水滸伝』の構造を考えていますが、ぼくの書く『水滸伝』は、本紀(晁蓋宋江の話)と、列伝(好漢を主人公にした数珠つなぎ)を分けたものにしたいという思いが、日々、強くなります。