同人誌『水滸伝』の巻構成

◆『水滸伝』赤の巻、『水滸伝』青の巻

水滸伝』の成立史にさかのぼって物語を解体し、再編成する。

ということを考えています。

たとえていうなら、赤い絵の具と、青い絵の具を、おなじバケツに垂らす。混ぜて完全に紫色になっていれば、それで絵をかけば、紫色を塗れる。しかし『水滸伝』は、絵の具の素材として、混ざりにくいのか、もしくは、混ぜる作業を手加減したのか、ところどころ、赤と青が残っている。

そういう混合が不徹底の場所があったら、たんねんに赤と青に、ふたたび分離して、「赤本」「青本」として巻を分けようと。分けることで、ひとつの話が途中でぶったぎられて時間が停止したり、ひとつの話が間延びしたりする、現行の不具合?を解消できるのではないか、というもくろみ。


赤色絵の具と、青色絵の具に例えたのは、今週、このブログに書いてる、

・盧俊義を頂点とした、太行山系のひとびと
宋江を頂点とした、梁山泊系のひとびと

という区分けです。

これが、第五十八回で融合して、きちんと紫になる。*1

物語の構成において、重要な転換点となるべき回の原典のタイトルは、いかにも「平行していた2つの話が、やっと合流する」ことを示した象徴的な言葉で、

「三山 義に聚まって青州を打ち、衆虎 心を同じくして水泊に歸す」と。

ひらたくいうと、太行山系の魯智深楊志・武松らが、青州軍に攻められて、どうにもならなくなり、梁山泊系の晁蓋宋江らと手をむすぶ話。

太行山系のひとびとは、青州の2山に籠もっており、地理的には梁山泊と融合する前提条件が揃っていたのだが、第五十八回以前は、あくまで独立を保っていた。


もちろん、赤色と青色が設定を持つのは、はじめてではない。林冲は、太行山系のお話で活躍したあと、梁山泊に流れてくる。孫立・石秀は、もといた北方に居られなくなり、梁山泊に流れてくる。
ぎゃくに戴宗は、公孫勝を探しにいくために北方をうろつき、太行山系のひとびとと接点をもつ。


水滸伝』赤の巻(太行山系)に、いっぽんの筋を通すために、つねに背後には、盧俊義の影響力がある、という伏線を張らなければならない。それでないと、梁山泊が盧俊義をラチする、という第六十一回からの、物語の構成からみたときの意義が薄れてしまう。柴進が、太行山系の中核かと思いきや、クロマクは盧俊義でしたと。

梁山泊系と太行山系が融合することで、108人が完成するのだ。


太行山:1~13回、23~32回(武十回)、44~49回で、合計29回分

梁山泊:14~22回、33~43回、50~58回で、合計31回分

 

◆『水滸伝』紫の巻×2

第五十八回で、梁山泊系が太行山系を吸収する話になってから、原典の『水滸伝』の構成は、どのように推移するか。それにあわせた、ぼくの『水滸伝』は、どのように区切りをつけるか。

紫の巻その1は、第五十八~九十回。
梁山泊が太行山を吸収してから、遼を倒すところまで。百回本で、梁山泊が勝ち進むところまで。百二十回本は、ここから田虎の討伐に分岐する。

紫の巻その2は、第九十一~百二十回。
田虎・王慶を滅ぼして、方臘との戦いに入って、終わりになる。

これで、だいたい全120回の『水滸伝』を、だいたい30巻×4に分割できた。後半は、ただ原典を巻数の順序どおりに区切っただけだが、前半の梁山泊系と太行山系を分けたのは、ちょっとした創意のつもり。

ただし、紫の巻その2(第九十一~百二十回)は、【警告】退屈な展開に注意、という感じ。金聖嘆の七十回本から派生した、さまざまな『水滸伝』をとりこんで、『水滸後伝』も取りこんで、オリジナルの結末を用意したい。


同人誌にするのは、58回までで、赤と青の2冊セットで第一次発売、
それ以後で、紫の2巻セットで第二次販売で完結、という予定です。

*1:『柴錬水滸伝』は、ここで終わる。腰斬よりも、さらに手前で切るとしたら、ちょうどこのあたりが適切。120回のなかで、60回弱って、ちょうど半分だし。