なぜ宋江は招安を受けたのか

宋江の招安に関する諸説・諸作品

宋江が招安を受けた(宋朝への実質的な降伏をした)理由について、とりざたされています。

というか、『水滸伝』で、いちばん難解な問題です。これをどう扱うかによって、そのひとの思い描く『水滸伝』がいかなるものか、決まってくる。そういっても、過言ではないほど。


たとえば、『水滸伝』を腰斬した金聖嘆は、招安を受けたあとの『水滸伝』はおもしろくないから、招安をカットした。しかし招安をカットすると、反乱を讃美するだけの話になるから、盧俊義に不吉な夢を見せて、反乱はダメ!という話にした。

いま読んでる、柴田錬三郎の『水滸伝』では、腰斬よりもさらに手前で切って、官軍との戦いすら、退屈だとした。
いちおう、べつの小説(三国志ものの続編)を書く仕事がきたから、『水滸伝』を打ち切ったのだろう、という推測もあるみたいですが、そういう、作品の外部からの解説は、鑑賞の妨げになります。作品そのものを見れば、シバレンは、招安よりもさらに前、梁山泊の好漢の列伝にだけ、興味をもった。組織としての戦闘には、魅力を見出さなかったということになる。
宋江集団の変質」という、問題の立て方そのものを、ボイコットした。

作者の死という、どうにもならない事情が手伝ったとはいえ、吉川英治『新・水滸伝』は、金聖嘆にならったというから(まだぼくが最後まで読んでない)、招安については、描かないという方針。

『北方水滸伝』は、宋江がいちばんはじめから、「替天行道」を掲げて、宋朝との対立を表明しているから、招安はありえない。そういう単純化っておもしろいのかなー、宋江集団の変質を吟味するところから、いろんなアイディアが浮かぶものを……と思うが、ともかく招安そのものがあり得ないという意味で、広義の金聖嘆のともがら。完全に「新しい」物語をつむぐのは、容易ではない。*1


少し距離を取ったところからいえば、史実の宋江は、招安を受けるのだから、招安を受けるのは、既定路線とならざるを得ない、という冷めた見方もできます。

これは、なんの長所もない宋江が、梁山泊の頭領になるかと問われれば、「史実で宋江が頭領となるから」という、既定路線をタテにとって説明するのと同じ。おそらく、あらゆる解説のなかで、いちばん「正しい」のだろうけど、作品そのものに没入して、宋江集団の変質を考えようとしたとき、ちょっと物足りない。

 

◆改めて、なぜ宋江は招安を受けたか

作品の外部からの解説や批評はさておき、物語に感情移入して考えると。

まずカウントすべきなのが、晁蓋の死。
晁蓋が死ぬまでは、梁山泊は、宋朝から見たら反乱集団であっても、内部では、独立した秩序をもった組織であった。王倫のときとちがい、「晁蓋では、トップの器量に欠けるから、変えろ」という話は出てこない。晁蓋という求心力があるリーダーがいれば、べつに宋朝のことを考える必要がなかった、というのが(物語の内的な)実際のところだと思う。

宋江をトップとしたのでは、独立した集団として、求心力を保つことができなかった、というのが(再び、物語の内的な)実際のところだと思う。盧俊義をつれてこいとか、ワケのわからん急展開は、宋江が「晁蓋をついで当然」でなかったことを、物語っている。たとえ、宋江の無用な謙譲、演出であったとしても、そういう演出が必要であるくらいには、宋江の立場はゆらいでいた。


じゃあ、「宋江は当初から、宋朝に帰順したかった」、すなわち、イヤイヤ逆賊を営んでいた。宋江がトップになったからには、宋江の個人的な主義を、梁山泊の人々に押しつけて、周囲の(李俊や李逵らの)反対を押し切って、宋朝に帰順した。

……という話か。

それも単純化しすぎだと思う。


人間は、素志(もとからの理想)があって、それは基本的に変成することはない。数々の困難を乗りこえて、人と人との縁に導かれて素志を実現していく……という、中学生が考えたみたいな話を、ぼくはおもしろいと思わない。

おそらく宋江は、もとはウダツのあがらない役人で、晁蓋のつくった梁山泊という共同体に魅力を感じて、身を投じた。しかし、晁蓋を救ったという手柄こそあれ、それだけで梁山泊に安住できるほど、安泰ではない。だから、各地でせっせと働いた。なりゆきではないかと思います…人生のある部分って。

晁蓋を失って、動揺した群衆のなかに(というか中心に;つまり、もっとも動揺した人物として)、宋江がいた。

たまたま、せっせと働いたおかげで、周囲から「梁山泊のトップになれ」と推挙される。しかし、あくまで「同輩の第一人者」であって、ほかの人々から距離をおいた、絶対的なカリスマではない。そこが晁蓋とちがうところ。

宋江は、梁山泊という共同体を維持するためには、カリスマ性のない自分よりも、カリスマ性のある(らしい)盧俊義を立てたいと思った。こういう心の動きは、それほど現実離れしているとは思わない。むしろ「凡人」宋江としては、整合的。

 

盧俊義が唐突に出てくるけれど、彼は、太行山系の山賊の首領のひとり。

盧俊義を、現在の居場所に居られなくした梁山泊(というか宋江)だが、それだけでは盧俊義が梁山泊のトップになってくれないということで、「戦さの競争をして、勝ったほうがトップに」というゲームを思いつく。

こういった『水滸伝』に描かれた話とは別に、ぼくら(読者)に見えないところで、宋江と盧俊義はしゃべっているに違いない。


盧俊義「いつまで無秩序なアウトローをやってるつもりですか」
宋江「だって、梁山泊に集まったのは、アウトローな人材ばかりだし」
盧俊義「晁蓋というカリスマがなければ、彼らは殺しあいを始めますよ」
宋江「だから、盧俊義さんにリーダーになってもらおうと、招いたんです」
盧俊義「私はイヤです。やつら、意味わかんないし」
宋江「えっ」
盧俊義「宋江さんがリーダーになるしかないでしょ。慕われてるし」
宋江「しかし私がリーダーになっても、集団を維持できるかどうか、不安です」
盧俊義「ムリでしょうね。あんたには、カリスマ性がない」
宋江「だったら、なぜ私にリーダーになれというのか。無責任なことを」
盧俊義「無責任をとがめるなら、私のカタギの生活を破壊した責任をとれ」
宋江「えー、ムリ。もー、どーにもならん」
盧俊義「ともあれ、あなたがリーダーになるだけでは、集団は維持できない」
宋江「いま仰った『だけ』というのは? 他にアイディアがあるの?」
盧俊義「招安を受けるのです。宋朝の権威を借りなさい」
宋江「しかし私は、招安なんてイヤだな。なんのために役人を辞めたのか」
盧俊義「じゃあ、梁山泊の好漢がケンカして、殺しあう結末を見たいの?」
宋江「それはいや」
盧俊義「それならば、招安を受けなさい」
宋江「それもいや」
盧俊義「そろそろ、オトナになりなさい」
宋江「……わかりました。しかし、どうやって宋朝と関係を結んでいいのか」
盧俊義「それは、うちの燕青がやります。李逵がジャマしなきゃ、うまくやれる」
宋江「お、お願いします」
盧俊義「カリスマ性に欠く宋江が頂点に立ち、宋朝の権威で補完すると」
宋江「なんか、折衷案ですね」
盧俊義「ほかに、やりようがないんですよ。やむなし」
宋江「なんか不本意っす」
盧俊義「朝廷の下部組織としてなら、私が第二のリーダーになってあげるから」
宋江「おおいに助かります。お願いします」


という会談があったのでは。
盧俊義は、秩序を志向するひと。梁山泊アウトロー首領になれなくても、彼ら(含む宋江)を飼い慣らすという仕事なら、わりに楽しんでやれそう。

まとめると、宋江が招安を受けたのは、2つの理由がある。

 ・晁蓋の死によって、集団が崩壊する危機をむかえた

 ・首領に据えるはずの盧俊義に、首領への就任と、招安の受領を
  あわせわざで、セットで勧められて、押し切られた

と、ぼくは思います。以上です。

*1:まったく新しい『水滸伝』を作りたいというのは、あくまで出版物を売りたいという商業上の要請によって、叩き出される言葉。この傲慢な言葉が、必ずしも『北方水滸伝』の価値を低くするものではないと思います。