水滸伝と三国演義の人物比定

『漢末水滸伝』をつくろうと思ったとき、
水滸伝の人物と、三国演義の人物をひもづける必要がある。

ただし、全部を一致させるのは、ムリだし、意味がない。


話としては、史書に登場する前の劉備に、『水滸伝』になぞらえた冒険をさせる。

史実とは矛盾しない範囲で、交通事故のように、史実の人物とも出会う……

という感じだと思う。


晁蓋張角宋江劉備

梁山泊は、どうしても黄巾の乱とかさなる。

三国志平話』の冒頭では、孫学究というおとこが病気になって、泰山のふもとの穴?異次元?に入りこみ、魔法的な医術を手に入れる。その孫学究の弟子に、張角がいて、その張角黄巾の乱を起こして、漢の滅亡のスイッチを押す、、という話です。

「学究」という名前が、『水滸伝』の呉用の別名を思わせる。
また、山岳地方で、異次元?の伏魔殿できっかけをつくり、王朝の滅亡のスイッチを押す、、という話の基本構成も、ざっくりいうと似ている。
(詳しく見れば違うのは当然ですけど)


おそらく『漢末水滸伝』の劉備は、晁蓋張角が、黄巾の乱に準備しているところに、たまたま知りあって、何らかの関係をもつ。しかし、張角のやりかた(漢を滅ぼす)に違和感をもって離脱する。漢を存続させる、という方向に、世直しの方法を求める。

劉備というのは、『水滸伝』の宋江。ここは不動。

水滸伝』の宋江は、とちゅうまで梁山泊に入らず、つかず離れずの態度をとる。梁山泊に収まったかと思いきや、盧俊義をよべとか、招安を受けろとか、晁蓋とはちがう路線をとなえて、梁山泊を撹乱?する。ただの反乱集団にとどめない。そういう、『水滸伝宋江の分かりにくさを、劉備に結びつけるときに、拡大させたらいい。


黄巾は、洛陽のお偉方とも関係をもっていた。
燕青を駆使して、中央とのつながりを作る話も、梁山泊と近い。


遼の討伐は、公孫瓚のもとで烏桓を討伐する史実とかと、接近させられるか。

蜀漢の主要人物

「豹子頭」林冲が、あだなどおり張飛になるかというと、イメージがちがう。
林冲は、イケメン枠だというのは、『女子読み「水滸伝」』にも書かれてた。

きっと張飛は、李逵なんだろうなあ。


関羽は、見た目から朱仝なのか、病関索の楊雄なのか、関勝なのか。
関勝は、だいぶ後になって官軍から合流する。出番が遅いのが良くないし、官軍のえらいひとというのも、やりたい話とはちがう。

美人のつまに浮気されて、情けない病関索の成分をふくむ。上官の子守をしていて、うっかり死なせるというミスをする朱仝の成分もふくむ。という感じで、『水滸伝』の人物を、つなぎあわせた話にしよう。

関羽は、『三国演義』毛宗崗本で、女性にたいしても「義」を要請して、みずからも実践する潔癖なひとになる。というか、神になる。その前史としては、女性問題で、いろいろ失敗があったひとだった、という。


弓の名人の花栄は、忠実な軍人だったが、宋江と交わることによって、役人の不正にいきどおり、職を失う。
花栄の話は、「わかき日の黄忠」の逸話としよう。黄忠の若いころの話って、きっとみんなが読んでみたいけれど、骨太のストーリーを持ったものって、あまりない。


梁山泊兗州にあるけれど、このあたりは、曹操が済南相として、邪教を撃破する。曹操のまわりには、霊帝廃位する計画をねった許攸・陳逸がいる。彼らも、きっと物語とからんでくるんだろう。


武十回をもつ武松は、趙雲かなあ。

「あによめ」がトラウマになり、のちに荊州で、樊氏との婚姻をことわる。トラを殴り殺す強さと、「あによめ」の件は、『水滸伝』で武松のキャラが分裂したという、問題点にあげられる。
しかし趙雲であれば、トラを殺してもおかしくないし、「あによめ」でトラブってもいかしくないし、冷静に裁判の材料をあつめても、ファンに許される気がする。劉備に、理性的な諌言をしたことが、『趙雲別伝』によって膨らまされているから。

というか、陳寿の本文の趙雲と、裴注の趙雲の分裂が、そのまま『水滸伝』における武松の分裂と融けあうって、これは奇蹟だと思います。


中央で面白くないことがあって、都落ちする『水滸伝』王進は、盧植さんかな。

となると、王進に指導を受ける史進は、公孫瓚か。史進は、武力にあふれるが、ちょっとドジで、見境がない。しかし同志や格下(少華山の3人)の面倒見がいい。現地の名門の血縁者というのも、イメージが重なる。


という感じで、『水滸伝』を要素にばらして、『三国演義』の前史としたい。