吉岡平『水滸伝_伏龍たちの凱歌』

読みました。

4つの話から構成されてます。

◆第1話 彫師

水滸伝』に登場するまでの史進の話。

史進は、母から「私の死ぬまでは、刺青はやめてね」と言われていたが、その母が死ぬ。これ幸いと、史進は刺青をしたい。打虎将の李忠に紹介されて、東京府の彫師のところに、彫ってもらいにいく。(彫師1とする)

しかし彫師1が提示した、仕事を請ける条件は、「ライバルの彫師(彫師2)を殺してこい」というもの。史進は、勢いでOKしてしまった。

しかし、彫師2を殺しにいった先で、
「いま燕青の刺青を彫ってる。これが完成するまで待て」と命乞いされた。

さらに、仕掛品の燕青が出てきて、史進による彫師2の暗殺を妨害する。

燕青にかなわないと悟った史進は、暗殺をあきらめる。むしろ、彫師2と話しているうちに、彫師2のほうが心根が正しく、かつ腕もいいと思うようになった。彫師2は左手で刺青をつくっているが、右手は彫師1につぶされたという。

「ライバルの彫師を殺すことで、じぶんが一番になろうとする彫師1って、性根が腐ってるよなー」

と思い直した史進は、彫師1を殺した。殺してみれば、彫師1は、地下に美女の刺青コレクションをしている変態だった。彫師1の言いなりになって、彫師2を殺さなくてよかった。彫師2に九紋龍を彫ってもらって、よかったなーという話。

ちなみに彫師1は、墨尹といい、彫師2は、花青という。*1
 

燕青と史進の刺青をほりおえた、彫師2は死んでしまう。

燕青とその飼い主である盧俊義が、史進と遭遇するという、楽しいお話。

◆第2話 銀の魚

項充は、飛刀投げがうまい。それを見た李袞は、項充から飛刀を習う。

ふたりとも飛刀の名人になって、わるい樊瑞を倒しにいく。しかし樊瑞から、西遊記の当時人物になぞらえられ、逆に感動してしまったバカなふたりは、樊瑞とともに山塞を運営する。

樊瑞は、独学で道術を学ぼうとしたが、うまくいかない。せいぜい、面と向かったひとに催眠術をかけて、あらぬ思いこみを植えつけるのが精一杯。作者いわく「心理学者」というのが、樊瑞の能力。

樊瑞は肥満するとともに、梁山泊を圧倒してやろうと、野心を燃やした。しかし、ほんものの道術をおさめた公孫勝にやられてしまう。項充と李袞は、樊瑞のもとを離れて、梁山泊李逵の部下になる。

樊瑞も、公孫勝のもとで道術を勉強しなおすことになる。「心理学者」のみならず、天候をあやつるスキルも手に入れて、良かったねと。


科挙に及第できないが、心理学者として、アジテーターとして、野心家くずれとして、ひとつの勢力を形成しようとする、樊瑞の奮闘記。

タイトルの「銀の魚(ぎんのいお)」は、項充と李袞が投げる飛刀のことをいう。しかし飛刀そのものが、話の進行で重要なのではない。純粋ゆえに、樊瑞のアジテーションにコロッと騙され、その気になって協力したところが、
「おや?樊瑞が凡人くさいぞ?」
と、これまた純粋に疑問をもって、梁山泊に移動していくという、記号のような若者のセットとして、ふたりは描かれている。

◆第3話 火攻水守

淩州の団練使には、「聖水将軍」単廷珪と、「神火将軍」魏定国がいる。

水滸伝』の原典では、ペアっぽい登場をするけれど、水をつかった特技を披露するでもなく、火をつかった特技を披露するわけでもなく、なんとなく登場しておしまい。彼らにキャラづけをしようという話。

単廷珪は、黒がシンボルカラー。魏定国は、赤がシンボルカラー。


淩州では、曽頭市(史文恭が属して、のちに晁蓋を殺す集団)を攻める。曽頭市が、ほんとうに張りあっているのは梁山泊。それを知っているから、淩州は曽頭市をマジで攻めるつもりはなく、小手調べをする。結末は、
「やっぱり曽頭市には、梁山泊と争ってもらい、共倒れになってくれたら、宋朝としてはハッピーだよね」
というオチがつく。
すなわち、『水滸伝』の本編の前日談として、本編に影響のでない形で、「そんな過去って、いかにもありそうだよね」という、小競り合いの話を提供する。


さて、淩州の上官は、ふたりを仲直りさせるために、曽頭市を攻める共同作戦を命じた。わざと兵糧の配分を決めずに、ふたりに与えて、話し合いを仕向ける。

「お前は、神火将軍なんだから、薪は要らないだろう」
「お前は、聖水将軍なんだから、水がなくても飯を炊けるよな」


ふたりは曽頭市を、水攻かつ火攻にする作戦を、ケンカしながら思いつく。
 ・鉄砲水を食らわせるため、曽頭市の上流をせき止める
 ・しかし乾期だから水の蓄積は遅く、かつ勢いも足りない
 ・曽頭市では鉄砲水に備え、木の柵をつくる
  (曽頭市のリアクションは、単廷珪と魏定国の想定どおり)
 ・せきを切って鉄砲水を食らわせるが、やはり曽頭市の柵に阻まれる
 ・水には重油が浮かんでおり、そこに火矢をつっこむ
  曽頭市は、重油をあびた木の柵ごと、燃える


感動すべきシーンは、火の将軍が、水の将軍に、勝利のキッカケになる火矢を射る役目をゆずってやるところ。しかし、あとから、
「射る場所がよくないから、火事の規模が小さくなった」と文句をいう。

◆第4話 智将巧将

董平は都会うまれ。教養があって、武術もできる。

張清は田舎うまれ。教養がなく、董平より年下だから少し弱い。

張清のほうは、董平をライバル視する。董平のほうは、そうでもない。
この張清くんの成長物語が、この第4話。


ふたりは、梁山泊のそばの府に、べつべつに就職する。
のちに梁山泊が、宋江VS盧俊義の「さきに府を攻め落としたほうが、梁山泊首領になる」という賭けごとをやるとき、ネタに使われる、ふたつの府である。この話では、「さきに梁山泊を征圧したほうが、ライバルとして格上ね」という、逆側の賭け事をやる。

張清は、器用ビンボウ。
なにか武術を習い始めても、その分野に、すでに達人がいると知れば、
「べつに改めてオレが修得しなくてもいいだろ。キャラかぶるし」
と考えて、努力するのを辞めてしまう。

あるとき張清は、龔旺の投げ槍を見て、

「投げ槍は、手持ちが尽きたら終わりだが、イシブツテならば、どれだけでも現地調達できる。しかもイシツブテ合戦は、さきに達人がいない」

とアイディアを思いつき、かつ練習をがんばって、『水滸伝』の本編のように、梁山泊のひとびとを悩ませましたとさと。

水滸伝』の本編と重なる、梁山泊との合戦シーンは、はっきりいって、この本で読まなくてもいい。張清がいかに董平と張りあい、相手にされず、ひととの出会いを大切にして、武術の試行錯誤を経て、梁山泊の外部のラスボスになるか、という成長物語でした。

4話とも、おもしろかった。

*1:彫師1の名声だけを聞きつけた李忠は、やはりろくでもない凡人だったと。そんなこと、書いてないけど、暗示してると思います。