白話小説を、擬似的に訓読したい

なんとなく、企てていること。

高島俊男水滸伝と日本人』に、詳しく紹介されていますが、江戸時代には水滸伝を読むため、従来の「訓読」では対応しきれない語彙を解説した、唐話の辞書が作られた。これを受け継ぎ、ぼくは、『水滸伝』や『三国演義』を訓読するための独自ルールをまとめたい。
といっても、幸田露伴のように逐字の訓読をやるのでなく、「この語句は飛ばす(置き字扱い)」「この字はこれに置換」と割り切るような。

水滸伝』を読むとき、ピンインで発音しても、目が滑るだけで、内容が頭に入らない(ぼくの語学力のせい)。現代日本語訳にすると、もとの漢字が見えなくなり、雰囲気が伝わらない。
そこで、白話小説の訓読もどきの手法を(自分だけのために)確立したい。文語を訓読した調子に置き換える手法。

白話小説では頻繁に目にするけど、文語で書かれた『三国志』『後漢書』『資治通鑑』では、あんまり親しみがない漢字がけっこうある。こういうとき、だいたい(日本語で訓読してしまえば同じ音になって)似た意味の漢字に置き換えるとか。

 

イメージ先行で、とりあえず、まとめると、

『通俗三国志』『通俗忠義水滸伝』をバージョンアップした感じで作りたい。規範としての日本の文語文(訓読の文体)が通用するような架空世界の住人になりきって、架空世界のなかで「現代語訳」するような。

 

なぜこんな、ヘンテコなことを試みるかといえば、

白話小説を「読む」ためには、上記の方法が、ぼくにとって、もっとも有効だと思うからです。学術的な活動ではなく、趣味として白話小説を熟読するためには、ただ黙読するだけでなく、音読するだけでなく、筆写するだけでなく、擬似的な訓読をやることが、もっとも楽しい。文の構造を考えるし、語彙にも着目できるし、自分なりにアレンジできる裁量があるから、やりがいが出てくるし。