水滸伝訓読:第110回(3/5)

第110回(1/5)、第110回(2/5)は、百二十回本のオリジナル?ストーリーなので、また後日やります。百回本に復帰するところに接続しそうな、第110回の中盤からやります。方臘の話が、宋江たちの耳に入ります。公孫勝が去って、万能の魔術師を欠いたため、梁山泊の諸将は、崩壊に向かっていく、、というところ。

公孫勝が去る

宋江・衆人、恩を受けて營に回る。次日、公孫勝 直ちに行營中軍の帳內に至り、宋江ら衆人に稽首を打ち、便ち宋江に道ふ、
「向日〈先日〉本師の羅真人 小道に囑咐し、兄長を送りて京に還らしむるの後、便ち山中に回る。今日、兄長 功は成り名は遂ぐ。貧道 今において仁兄に拜別し、衆位に辭別し、便ち山中に歸り、師に從ひて道を學び、老母を侍養して、以て天年を終らん」
宋江 公孫勝の前言を説くことを見て、敢へて翻悔せず、潸然 涙 下り、便ち公孫勝に道ふ、
「我 想ふ、昔日 弟兄 相ひ聚まる。花の始めて開くが如し。今日 弟兄 分別す、花の零落するが如し。吾 不敢へて汝が前言に負かざると雖も、心中 豈に分別を忍びんや」
公孫勝 道ふ、
「若し小道 半途にして、仁兄を撇〈へつ〉せば、便ち是れ寡情・薄意なり。今 仁兄 功は成り名は遂ぐ。只だ曲允を得ん」

宋江 再四 挽留すれども住〈とど〉まらず、便ち一筵宴を設け、衆弟兄をして相別し、筵上に杯を挙げしむ。衆 皆 歎息し、人人 涙を灑〈そそ〉ぎ、各 金帛を以て相ひ贈る。公孫勝 推卻 して受けず、衆兄弟 只顧〈ひたすら〉打拴して包裹に在〈お〉く。
次日、衆 皆 相ひ別る。公孫勝 麻鞋を穿き、包裹を背ひ、個の稽首を打し、北を望みて程に登りて去る。宋江 連日 思憶し、涙 雨の如く下り、鬱鬱として楽しまず。

李逵宋江に、朝臣を辞めろという

時下 又 正旦節の相ひ近きに值ふ。諸官 朝賀を准備す。蔡太師 宋江人ら都て朝賀せば、天子 之を見て、必ず當に重用すべきを恐る。隨即〈ただ〉ちに天子に奏聞し、聖旨を降し、人をして當住せしめ、只 宋江・盧俊義 両個の有職の人員をして、班に隨ひて朝賀せしむ。其の餘 出征の官員は、俱に白身に係る。驚御有るを恐れて、盡く皆 禮を免ずとす。

是の日 正旦、百官 朝賀す。
宋江・盧俊義 俱に各々公服し、都て待漏院に在りて伺候す。早朝、班に隨ひて禮を行ふ。是日、紫宸殿に駕坐ありて朝を受く。宋江・盧俊義 班に隨ひて拜し罷はる。両班に於て侍下し、上殿す待〈べ〉からず。仰いで殿上を觀るに、玉簪珠履・紫綬金章、往來して觴を稱げ〈さかづきをあげ〉壽を獻ず。天明より直ちに午牌に至り、方に始めて謝恩の御酒に霑〈うるほ〉ふを得たり。
百官 朝散し、天子の駕 起る。
宋江・盧俊義 內〈だい〉を出で、公服頭を卸し、馬に上りて營に回る。面に愁顏・赧色有り。吳用ら接し、衆將 宋江の面に憂容を帶びて、心の悶えて楽しからざるを見る。都て來りて節を賀す。百餘人 拜し罷はり、兩邊に立つ。宋江 首を低〈た〉れて語らず。
吳用 問ひて道ふ、
「兄長 今日 天子に朝賀して回る。何を以て愁悶する」
宋江 口氣を歎じて道ふ、
「想ふ、我は生來 八字の淺薄、命運は蹇滯す。遼を破り寇を平らげ、東征・西討して、許多の勞苦を受く。今日 衆兄弟を連累して功無し。此に因りて愁悶す」
呉用 答へて道ふ、
「兄長 既に造化の未だ通ぜざるを知らば、何の故に楽しまざる。萬事 有分り、必ずしも多憂せざれ」
黑旋風の李逵 道ふ、
「哥哥 好だ尋思沒し〈どうも分別がない〉。<font color="red">當初 梁山泊に在りて、一個の氣を受けざりしに、卻りて今日もまた招安を要し、明日もまた招安を要す。招安を討〈もと〉め得たれば、卻りて煩惱を惹く。兄弟らを放ちて都てここに在り、再び梁山泊に上る。卻りて快活ならずや</font>」
宋江 大喝して道ふ、
「この黑禽獸 又 無禮するや。今 國家の臣子と做れり。都て是れ朝廷の良臣なり。你 この道理を省〈さと〉らず、反心 尚ほ未だ除かざるや」
李逵 又 應じて道ふ、
「哥哥 我が說ふを聽かず、明朝、有的氣〈いやな思いを〉受くるなり」
衆人 都て笑ひ、且つ酒を捧げて宋江のために壽を添ふ。
是の日、只だ飲んで二更に到り、各自 散ず。

◆高官に嫉妬され、虐められる

次日、十數騎の馬を引きて入城し、宿太尉・趙樞密 並びに省院の各官の處に到りて、節を賀し、城中に往來す。観看する者 甚だ衆し。裏に就て人有り、蔡京に此の事を説き知らしむ。
次日、天子に奏過し、旨を傳へて省院に榜を出し禁約せしめ、各々の城門の上に張掛す、
「但だ凡そ一應 出征したる官員・將軍・頭目、城外に營を下して屯札し、調遣を聽候するを許す。上司の明文の呼喚を奉ずるに非ずんば、擅〈ほしいまま〉に自ら入城するを許さず。如し違はば、定めて軍令に依りて、罪に擬して施行せん」と。
人を差はし榜を齎らし、逕ちに陳橋の門外に來りて、榜文を張掛す。人有りて看て、逕ちに宋江に報知す。宋江 轉た愁悶を添ふ。衆將 知るを得て、亦 皆 焦躁し、盡く反心有り。只だ宋江一個に礙〈さまた〉げらる。

水軍の頭領 特地に來りて軍師の吳用に請ひて事務を商議せんとす。吳用 去きて船中に到る。李俊・張橫・張順・阮家の三昆仲に見ふ。俱に軍師に説く、
「朝廷 信を失ひ、奸臣 權を弄し、賢路を閉塞す。俺が哥哥 大遼を破り、田虎を剿滅す。今 又 王慶を平らぐ。止個の皇城使を得て做るのみ。又 未だ曾て我ら衆人を陞賞せず。今 倒りて榜文を出し、禁約して我等の入城するを許さず。我 想ふに、かの夥〈くわ〉の奸臣、漸漸的 我ら弟兄を拆散して、各々調開せんとす。今 請ふ、軍師 自ら個の主張を做せ。若し哥哥と商量し、斷然 肯んぜずんば、ここに殺將起来して、東京を把りて一空を劫掠し、再び梁山泊に回らん。只だ是れ落草せば、倒りて好し」と。
吳用道ふ、
「宋公明の兄長、斷然 肯んぜじ。你衆人 枉げて力を費すも、箭頭 發せずんば、努めて箭桿を折るのみ。古より蛇 頭無くして行かずといへり。我 如何ぞ敢へて自ら主張せん。この話 須らく哥哥の肯ずる時、方纔〈わずか〉に行ひ得ん。他〈かれ〉若し肯へて主張を做さずば、你ら反せんとするも、也〈また〉反して出でじ」と。
六個の水軍が頭領、呉用の敢へて主張せざるを見て、都て聲を做し得ず。

呉用宋江に向け、李俊らの不満を代弁する

吳用 回りて中軍の寨中に至り、宋江と閒話し、軍情を計較す。便ち道ふ、
「仁兄 往常 千の自由あり、百の自在あり、衆多の弟兄 亦 皆 快活なりき。招安を受けてより、國家のために力を出し、國家の臣子と為る。想はざりき、倒りて拘束を受け、任用さるる能はず。兄弟ら都て怨心有り」
宋江 聽き罷はり、失驚して道ふ、
「誰か你に甚〈なに〉を行說するにあらざる莫きや」
吳用道ふ、
「此は人の常情なり。更に多説を待たんや。古人は云ふ、『富と貴とは、人の欲する所なり。貧と賤とは、人の惡む所なり』と。形を觀て色を察し、貌を見て情を知る」と。
宋江道ふ、
「軍師、若し弟兄ら但だ異心有らば、我 當に九泉に死して、忠心 改まらざるべし」

宋江が諸将に忠義を説く

次日 早起、諸將を會集し、軍機を商議す。大小人ら都て帳前に到る。宋江 開話して道ふ、
「俺 鄆城の小吏の出身なり。又 大罪を犯す。你ら弟兄の扶持に托賴し、我を尊びて頭と為す。今日 臣子と為るを得たり。古より道ふ、『人を成すは不自在なり。自在は人を成さず』と。
然く朝廷 榜を出して禁治すと雖も、理合 此の如くなるべし。汝 諸將士、故無くして入城するを得ず。我ら山間・林下、鹵莽の軍漢 極めて多し。倘し〈もし〉或いは因りて事を惹かば、必然 法を以て罪に治せん。卻りて又 聲名を壞さん。今 我ら入城するを許さざるは、倒りて幸事なり。你ら衆人、若し拘束を嫌ひ、但だ異心有らば、先に當に我が首級を斬るべし。然して後、你ら自ら去りて事を行なへ。然らずんば、吾 亦 顔の世に居ること無し。必ず當に自ら刎ねて死すべし。一に你らの自ら為すことに任す」と。
衆人 宋江の言を聽き、俱に各々涙を垂れ、誓を設けて散ず。