北方『楊令伝』要約と分析(巻1下)

236ページ~

王定六は、なき秦明の妻子(公淑と秦容)を、面倒をみながら送り届けている。公淑は、子供が死んで発狂したところ、宋江に惚れられ、おさない楊令の面倒をみて、秦明に惚れられて……という、北方大水滸の重要なオリジナルキャラ。移動の果てに、王進の妻におさまるのだから、重要きわまりない。

秦容も、のちに最強のキャラに育つらしい。まあ、王進のところに行ったひとは、原作でいかに端役であっても、なかなか死なずに、立派な働きをさせてもらえる。鮑旭とか馬麟とかです。史進・武松から始まる系譜だから、これは北方大水滸では、あらがえない流れ。

秦明の妻子を護送する役目が、花飛麟に引き継がれる。この花飛麟の特徴は、精力が絶倫であること。もっとも安い女を買ってきては、一晩に何十回も交わる。だから、女は使い物にならなくなり、「もっとゼニをよこせ」とクレームをいわれる。花飛麟は、「払いたくないなー」としぶる。花飛麟は、そういう人格に難ありのキャラとしてスタートする。

 のちに花飛麟は、欲情した扈三娘と、戦場で交わって、その直後に扈三娘が死ぬという、やっかいな役割を背負わされる。この扈三娘というのが、読本にいうところの「さげまん」であり、晁蓋を筆頭に、関わったオトコが、片っ端から不幸になっていく。この扈三娘との交合もまた、花飛麟のイケメン・絶倫がひきよせたこと。


少し本編から脱線しますが、北方大水滸は、「オンナを憎む」小説です。オンナが絡むと、志が挫かれて、骨ヌキになる。オンナを断ちきる(物理的にぶった切る)ことによって、志という本来のレールに復帰する。という話。

このあたりは、原作『水滸伝』を、期せずして継承している。原作『水滸伝』もまた、オンナが出てくると、マイナスのイベントしか起きない。

扈三娘というのは、登場時点ではアイドル。「海棠の花」という呼び名をもつ、オンナのなかのオンナ。矮脚虎の王英とくっつく、という原作の落としどころに向かって、「王英に命を救われる」場面が何回もあるけれど、なかなかくっつかない。くっついたら、くっついたで、王英はすぐに他のオンナに逃げていく。とても扱いづらいキャラだな、という作者の苦しみが(王英の浮気を通じて)感じられる。

林冲を狂わせるのも、扈三娘。林冲は、戦場にオンナがチラチラするから、イライラして、扈三娘を岩に叩きつけて、骨をバラバラにする。のちに林冲が死に場所を見つけたが、それは扈三娘を戦場で救うための突撃だった。「一度くらいは女を救える、男になりたかった」という動機で、林冲は死んでいく。つまり、女なら誰でもよかったが、それならば作中における「女のなかの女」である扈三娘で、手を打ちましょうと。

聞煥章によって、欲望を開発された扈三娘は、戦場のお荷物になる。オトコの場合、オンナをぶった切れば、志に帰ってこれる。しかしオンナの場合、オンナを断つことができないから、自殺するしかない。扈三娘は、自殺まがいの突撃をする。北方氏が、まじで持て余しているという感じがする。

オンナを扱いかねて、オトコたち(作中の登場人物だけでなく、作者を含む)がモヤモヤするのが、北方大水滸です。

原作『水滸伝』の、もうひとりのヒロインである瓊英は、まったく出てこない。日本との交易に出かけた、ということは分かるのだが、彼女の目線から語られるエピソードはない。「亭主は元気で留守がいい」というが、「オンナは元気で留守がいい」というのが、北方大水滸なのです。瓊英は、幸せになってください。


279ページ~

さて、秦明の妻子を護送している花飛麟は、道すがらオンナを買いながら、扈三娘を想像して、一晩に何回もやる。そのすきに、青蓮寺でも何でもない賞金稼ぎによって、秦明の妻子が襲われる。

秦容(秦明の子)が重傷をおい、めでたいことに、物語のなかでキャラ立ちするための勲章(消えない傷跡)をつけられる。精力をもてあまし、ろくに護送の任務すらやれない、花飛麟のおばかさん、というお話。

そんな花飛麟は、王進先生に、たたき直してもらうことに(334ページ)


294ページ~

童猛は、水深を測るマニア。梁山湖でつくった湖底マップと同じものを、太湖でもやってる。太湖のなかに、なき梁山泊の人物の名前を割り振って、悦に入っている。
ただの剥きだしの自然を、命名することにより、人間のものに「開発」していくプロセス。一見すると、地形と、人物たちの性格を結びつけ、にやにやしている変態にしか見えないけれども、自然を「開発」するのは人間の本質的な営為。

ただしこの太湖は、おもな戦場にならない。ただ人数を集めて、調練をする、という集合場所みたいなもの。のちに楊令が帰ってきて(ネタバレ)梁山泊の領土を1州だけ作るのは、北の中原のほう。水深マップは、実戦では役に立たない。


305ページ~

かつて李応の執事だったのは、杜興じいさん。韓滔・彭玘のあとを継いで、組織のガスを抜く、毒舌じじいを引き受ける。嫌われ役の、呉用・宣賛からも、ガスを抜いてあげる。

「わしが言わんと、いかんかのう。どうじゃろうのう」……ウゼ!


一転、だらだらと状況説明・分析をする青蓮寺では、「北には幻王がいるけど、誰だろうなあ(楊令だよ)。南には方臘というやつがいるぞ」と話してる。322ページで、方臘が初出する。この方臘さんが、原作『水滸伝』から引き継がれ、キャラを膨らまされた重要な人物。
ぼくが、『楊令伝』を読もうと思ったのは、方臘が出てくると聞いたから。


325ページ~

秦容は死にそうになりつつ、花飛麟が王進のところに到着する。秦容は一命をとりとめる。花飛麟は、さきに王進のところに来ていた張平(張横の子;盗みグセがあって李逵に懲らしめられたが矯正せず)に会う。

不良として王進に教育された張平は、おなじく不良の花飛麟と意気投合する。花飛麟も、王進のところで教育を受けることになる。互いに武術を見せ合って、友情をあたためるという「約束」をこなした。


353ページ~

待望のミステリーの解決篇。幻王となった楊令の目線から、物語が書かれる。

楊令と一緒にいるのは、郝思文の子の郝瑾。

楊令は、梁山泊が陥落してから、作者の北方氏も制御不能なほど、めちゃめちゃな戦いをしてきた。敵対する民族(遼になびいた熟女真;アグダのライバル)を襲っては、めちゃめちゃに破壊して殺戮する。楊令そのひとは、略奪や拉致は行っていないという設定だが……、楊令に後続する軍が、略奪や拉致をするための下準備をやっているのだから、楊令も同罪。このあたり、潔癖な北方大水滸は、楊令に泥がつかないように、なんども必死に弁明しております。楊令は悪い子ではなく、ただ強すぎるだけなんだと。その弁明は、余計だと思う。

幻王としての楊令は、ちっとも「梁山泊らしい」人物ではない。どうしてしまったのだ楊令! みんなの愛情を受けながら育って、王進先生にも鍛えられたはずのカンペキな好人物の楊令は、いったいどこにいったのだ??

ということで、巻1が終わります。


総じていえば、『北方水滸伝』の後日談として、3年をへて、みんながどこで何をしているのか、消息を確認しあうような巻でした。話は動かない。

そのなかでも、いちばん壊れていて意味不明なのが(しかもその伏線は、いまいち回収されないから、さらにタチが悪いのが)楊令。この楊令さんは、女真のなかで殺戮しまくって気が済んだら、ふっと「梁山泊らしい」もとの性格をとりもどす。つきものが落ちた、という感じで。

この楊令の二面性というか、キャラ設計の分裂・失敗は、どうにもならん。巻1をミステリーのような調子にしようと、知恵をひねったのだろうけど、あんまり良くなかった。しかし、『北方水滸伝』の最後のような、カンペキな好人物として、『楊令伝』が再出発しても、いまいち間が持たせられないから、問題は根深いのです。

両親を目の前で殺されて、声を失ったというトラウマがある楊令に、新しい試練を与えるとしても、もうネタギレ。仕方がないから、楊令に内部から壊れてもらおうと。その結果、最強の殺戮部隊になりましたと。なんだかなー。

ミステリーの要素を整理すると、

問題編:「幻王」となのる残虐で最強の人物がいる。候補はふたり。かたや、武力がなさそうなウキマイ(アグダの弟)。かたや、梁山泊のホープの楊令。果たして「幻王」とは誰なのか……。という問題設定をしたところが、キャラ造型のリアリティにおいて、
解答編:「解(かい)なし」。と着地してしまった印象。

はやく、方臘&呉用が読みたいなあ!というのが、巻1の読後感。