『楊令伝』第9巻の前半まで読了

楊令が童貫を斬りました。

先週の土曜の昼に『北方水滸伝』を読み終わり、『楊令伝』に移行。さきほど、9巻の途中(童貫の死)まで読み終わりました。

北方氏は、『水滸伝』・『楊令伝』・『岳飛伝』という三部作をもって、「大水滸」というシリーズとされるようです。小説のタイトルは3つにわたりますが、内容によって分類するならば、にばんめの『楊令伝』の第9巻の前半で、楊令が童貫に勝つところで、ふたつに分けられると思います。

水滸伝』で、梁山泊は童貫にやぶれて、楊令が生き残った。その楊令が、梁山泊を復興して、童貫をやぶり返すまでが、ここです。これ以降、楊令が国家観について、あれこれ悩むという話になるらしい。つまり、べつの話が始まり、「大水滸」が後半になると。


ぼくが『楊令伝』を読み始めたのは、まがりなりにも原作の古典たる『水滸伝』に準拠するところまで、読んでしまいたかったから。

「ちょっと調べたら、方臘の乱が描かれるのが、『北方水滸伝』ではなく『楊令伝』だというではないですか。これや読まねばならない。方臘の死まで読めば、もうたくさんかも知れない。しかし、楊令が童貫を斬るまでは、『北方水滸伝』の続編としての色彩がつよい部分であり、読まねばなるまい。けっきょく戦うだけなら、退屈かも知れないけれど」

という気持ちの動きがありました。

まあ、GWにむけて会社がラクラクになり、たった数日で読み終わるのならば、欲を出して読んでおきたい、という打算も働いたわけですが。もし『楊令伝』の前半を読むために、数万円かかるとか、1ヶ月かかるとか、そういう代償があるのならば、きっと『北方水滸伝』までを読んで、ヨシとしました。

というわけで、『楊令伝』の咀嚼・消化を、このブログでやっていきます。『北方水滸伝』の咀嚼・消化もしたいけれど、お手軽そうな『楊令伝』からやっておきます。


ところで、北方氏の小説は、あるループによって成立してます。

 ・戦況の分析を、会話によってダラダラやる(じつは枚数の大半かも)
 ・戦闘のために準備をシコシコとやる(調練を含む;やたら楽しそう)
 ・戦闘を行う(描写が細かくて、ときに何が起きているか分からない)
 ・戦況の分析を、会話によって……

戦闘に関係しないできごとや会話は、あまり起きない。なんやかんやで、戦況の分析に時間(枚数)を費やす。文学研究として、色分けして比率を数えたいほど。そして、戦闘のリアリティを担保するために、その準備にも熱中する。

「準備をしっかり描くことで、戦闘に真実味がでる」

という信念があるらしく、読者は準備にずっと付き合わされる。準備のなかでも、もっともおおいのが、調練(それ以外では、物資の調達や、道具の製作)。調練しているのは、もう分かったから……という気持ちになる。

水滸伝とは、これ決戦」という前提なのかも知れないが、ループというか構造に気づいてしまうと、けっこう単調になってくる。その単調さが好き、というのが、北方氏の読者としての、あるべき態度なんだけれど。

ずっと金太郎飴だから、短期間で読破してしまうと、その単調さが目についてしまう。そうでなく、時間をかけて(可能であれば、作者が書いたくらいには時間をかけて)読めば、楽しいんだと思う。

たとえば、ぼくたちが日常的に楽しいと思っていること(ひとによって違うと思いますが、各人の趣味)って、1日に18時間とかやったら、飽きてくる。1日に3時間とか4時間しかできないから、それを反復して、生活にいきがいを与えるものだから。北方氏の「分析→準備→戦闘」というサイクルだって、1ヶ月に1巻分だったら、気持ちがいい頻度と濃度で、味わうことができるんだろうなあ。


ともあれ、『楊令伝』の咀嚼・消化を、つぎの記事から始めます。すなわち、ぼくが読んだところの『楊令伝』のエッセンスだけを抜粋して、分析もしくは感想のメモをします。具体的な作業としては、1回目に読み終わってすぐに2回目を読みつつ、ブログに書き付けていきます。

章には名前がついていますが、あんまり意味があるとは思えないので、巻数とページ数によって、該当箇所を示しておきます。