第101回~110回 王慶の乱

◆101回のこと

瓊英が帰ってくる。公孫勝に弟子入りした喬道清、喬道清を説得した同郷の孫安、瓊英の育ての親の要請らが、朝廷で功績を認められる。
公孫勝が、五龍山の塑像を修復する。喬道清の術をやぶるために、バラバラに壊してしまったから。芸の細かい後始末。
天子は、瓊英の母子の孝・義をほめて、称号を与える。田虎を寸刻みに殺して、父母の前に首級を供えて、ぶじに田虎の乱は収束しましたとさ。

蔡京が、天子の前で戦さの話をする。
蔡京を遮って、武学諭が、「童貫と、蔡攸(蔡京の子)は、淮西の王慶に負けまくっているのに、負けてないと嘘をついている」と告発する。しかし蔡京は、身内の失敗を、たのみにごまかす。
この王慶というのが、、と昔話が始まる。

童貫の部下である王慶は、好色である。
童貫のめい(弟の娘)は、蔡京の孫(蔡攸の子)の嫁になる予定である。
天子が李師師のところに遊びにゆき、都の警備が甘くなった。これをきっかけに、童貫のめいが外に遊びに行くと、王慶と会ってしまい、王慶にほれた。夫である、蔡京の孫の知らないところで、王慶は、童貫のめいと付き合った。
王慶は、自宅の机が歩き出したので(なんのこっちゃ)、机を蹴ろうとしたら、身体をひねってしまい、脇腹が痛くて動けない。

◆102回のこと

王慶は、身体がいたいのに、妻と交合させられ、さらに痛くて動けなくなった。
王慶が仕事をさぼると、上司の童貫に呼び出されて怒られた。童貫は、じぶんのめいが、王慶と密通していることを知り、王慶を殺そうとした。

蔡京のほうでは、嫁(童貫のめい)が浮気していたとバレたら外聞が悪いので、うやむやにして、王慶を地方に追放した。
こうして王慶は、地方に流されて、反乱のもととなる。105回までは、梁山泊の人たちのような、ドタバタのトラブルをやるが、見るべきものはない。

◆メモ

王慶の話を面白くするには、天子・李師師、蔡京・童貫という、中央官のトラブルのなかに折り込むこと。
宋江・燕青が、中央に工作して、招安を受けようとする話に、織り交ぜたらどうだろう。燕青のライバル。天子や高官が、女がらみで混乱するなかに入りこんで、結果的に梁山泊をジャマするとか。
王慶は、蔡攸・童貫を破るという設定がある。中央官と、深く絡み合って、宋江たちの敵になる、、という話を考えたい。宋江たちの集団の、別パターンとして、王慶の集団を位置づけることができるだろう。

 

◆105回のこと

蔡攸・童貫が、王慶に敗れた。
そこに、張清・瓊英・葉清と合流した宋江らが、「私らが王慶を伐つ」として、名乗りをあげる。

王慶の討伐に向けて、田虎からの降将である孫安が、妙に張り切ったりして。孫安は、百二十回本のオリジナルキャラだから、110回(百回本への回帰)までに、死ななければならない。
炎天下の進軍で、宋軍がへばっていると、喬道清が涼しい風を起こして、方術でバックアップする。

◆106回のこと

李俊が中心となり、船のなかに兵を隠して接近して、王慶軍を出し抜く。まあこの計略は、無視してもいい。

◆107回のこと

王慶軍のなかで、見るべきなのは、袁朗です。

賊陣裏門旗開處、賊將袁朗驟馬當先、頭頂熟銅盔、身穿團花繡羅袍、烏油對嵌鎧甲、騎一匹捲毛烏騅、赤臉黃須、九尺長短身材、手兩個水磨煉鋼撾、 左手的重十五斤、右手的重十六斤、高叫道:「水窪草寇、那個敢上前來納命!」 宋陣中河北降將金鼎、黃鉞、要幹頭功、兩騎馬一齊搶出陣來、喝罵道:「反國逆 賊、何足為道」金鼎舞著一把潑風大刀、黃鉞拈渾鐵點鋼槍、驟馬直搶袁朗、那 袁朗使著兩個鋼撾來迎、三騎馬丁字兒擺開廝殺。

という具合に、河北の降将を倒す。
袁朗の勢いを殺したのは、これまた河北からきた瓊英。魯智深李逵といった、強すぎる人が、やっと片づけるのだが。
百二十回本の都合で、もとの百回本のキャラを殺せないのだが。この戦いで、ひとりぐらい、オリジナルのメンバーが死んでくれないと、王慶と闘ったかいがない。河北の降将を殺すとは、じつは「百回本のキャラを殺したい」という、百二十回本の作者の思いがあるところだから。

◆108回・109回

楊志が道に迷うとか、「毒焔鬼王」が出てきて、喬道清が追い返すとか。いろんな戦いの経過があるけど、べつにいい感じで。

◆110回

河北の同僚である孫安が死んだから、喬道清は去って行く。喬道清は、羅真人のもとに帰って、修行をしなおすという。
これが呼び水となり、公孫勝も去ってゆく。そして百回本に合流すると。

 

◆まとめ

王慶の乱の、文学的な(ストーリーの都合上の)意義は、田虎の乱で味方にした人たちに活躍の場を与えて、かつ退場させること。

ただし、そういう要請とはべつに、中央の高官とからみがありそうな、王慶というキャラは、料理のしがいがあると思うのです。