楊志が花石綱で、孫立を待つ

『宣和遺事』のうち、『水滸伝』に関係ありそうなところを訓読。
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平凡社の中国古典文学全集を参考にしています。

◆宦官の童貫が、大臣を兼ねる

宣和四年、春正月、梁師成に開府を加ふ。自来、内侍の官を喚びて、「宗臣」と為す。
是の時、童貫 太師と為り、枢密院を領す。恩〈恩遇〉は宰相に同じ。
師成 開府と為り、亦 宰相と職を同じうす。春秋の大燕ごとに、巍然と執政の上に坐す。人立〈君主〉と勧酬の礼を講ず。且つ家臣の師傅と為るは、義に尤も悖る。

童貫 枢密を領し、日々宰相と同班せん〈同列に振る舞おう〉と欲す。後に入内して、進みて窄衫〈身分の低い者がきる袖の狭い衣服〉に換易へ、傸閹〈ほかの宦官ら〉と伍と為る。出れば則ち大臣と為り、体貌の礼を当つ。入れば則ち近侍と為り、使令の役を執る。古に未だ見る所にあらず。

夏四月、童貫・蔡攸に命じて、師を帥ゐて辺を巡せしむ。貫 郊より出づるに、徽宗 服を易へて郊を出で、童貫・蔡攸に餞行す。

五月、童貫の兵 遼人と戦ひて敗れ、退きて雄州に保す。
九月、金使 兵を中康〈燕京〉に会することを期す。


花石綱で、楊志が失敗する

是より先、朱参 花石綱を運ぶの時分、楊志・李進義・林冲・王雄・花栄・張青・徐寧・李応・穆横・関勝・孫立といふ十二人を差はして指使と為す。前みて太湖らの処に往き、人夫を押して花石を搬運せしむ。
かの十二人 文字を領するや、義を結びて兄弟と為る。災厄有らば、各々相ひ救援すと誓ふ。李進義ら十名、花石を運び、已に京城に到る。只だ楊志 穎州に在りて、孫立の来らざるを等候つ〈まつ〉有り。彼の処に在りて、雪に阻まる。*1

かの楊志 孫立の来らざるを等ち、又 雪天に値ふ。旅途は貧困にして、果足に缺少す。未だ免ぜず、一口の宝刀もて市に出でて貨売せんとするも、終日、価 人の商量すること無し。

日晡に行至するに、後生〈若者〉の宝刀を買はんと要〈ほっ〉するに遇ふ。両個〈楊志と若者〉交口・廝争す。かの後生 楊志に刀を揮ひて一断せらる。只だ見る、頸の刀に隨ひて落つるを。

楊志 枷を上げ、招状を取り、獄に送られ推勘せらる。案を結して申奏す。文字 回り来る。太守 判じて道はく、

楊志の事体〈やったこと〉大なりと雖も、情実 憫れむ可し。楊志の誥札・出身〈身分・官歴〉もて、盡く焼燬を行ひ〈消去して〉、頴州の軍城に配す」

断 罷はり、両人を差はし防送して衛州の交管に往かしむ。
正に行次するに、一漢の高叫するあり、
「楊指使!」
楊志 頭を抬げて観るに、孫立 指使を認む。*2
孩立 驚怪す、
楊志 我を等候するに因り、かの罪を犯す。当初、義を結ぶの時、厄難に在あらば相ひ救ふと誓へり」

星夜 京師に奔帰し〈李進義に告げ、黄河の岸辺に待ち伏せて〉、軍人の防送するを殺す。ともに太行山に往き、落草して寇と為る。

*1:『宣和遺事』で、楊志花石綱の運搬に失敗するのは、(同じ運搬の任務を帯びた)孫立の到着が遅れたため。(『水滸伝』では、花石綱が失敗する現場を描かれず、回想の説明のみ;第十二回・駒田訳上145p)。楊志と、病尉遅の孫立の関係を、『宣和遺事』で拾えるのは嬉しい。

*2:水滸伝』から察するに、孫立はぶじに任務をやり遂げたから、まだ公職にある。楊志は、孫立のために待ったせいで、殺人を犯してしまい、官職を失った。それを見捨てる孫立ではなかった。