祝家荘と曽頭市、晁蓋の取り扱い
佐竹靖彦『梁山泊』71ページより。
『水滸戯』において晁蓋は、祝家荘で3戦して死ぬ。ただし、祝家荘の戦いが、描写されているのではなく、説明のなかに、ちらっと出てくるだけ。
『水滸戯』は、すべてが個人プレイのエピソードであり、ただひとつ集団戦っぽいのが、祝家荘の戦いであるが、それすら本編ではスカスカであると。
現行『水滸伝』において、祝家荘の戦いで指揮をとるのは、宋江である。宋江には、遼国と方臘の討伐において、総大将をやってもらわねばならない。その結末に運ぶためには、祝家荘の戦いの指揮権を、晁蓋から宋江に移しておかねばならない。
すると、晁蓋が死ぬことができなくなるから、曽頭市という、まるで晁蓋を殺すためだけに設定されたような舞台装置 が必要になる。
晁蓋は、トップになったり、毘沙門天になったり、宋江の下風に立ったり。順位づけにおいて、もっとも整合性を取るのがむずかしいキャラであることが、よく分かります。*1
ぼくは祝家荘の戦いを、初めてちゃんと読んだのは、夏秋のぞみ・李志清の漫画でした。
一読したときの感想が、「いやに宋江が働くなあ。ちょっと不自然なほどに。よほど手柄が欲しかったのだろう」というもの。「手柄が欲しい」宋江というのは、あくまで物語に入りこんだ上での感想。すなわち、梁山泊の正規メンバーになるために、宋江は、よほど功績を立てねばならなかったようだ。ご苦労なことだな、と。
上の佐竹氏の指摘では、物語の世界からは、ちょっと距離をおいた上で、宋江にとって功績が必要な理由を説明している。遼国・方臘との戦いを、宋江が総大将として率いるための伏線であったのだと。
ぼくの直感は、当たらず遠からず。いやハズレかも。
曽頭市の戦いも、初めてちゃんと読んだのは、夏秋のぞみ・李志清。
これが、晁蓋を片づけるために設けられたという話は、どこかで読みかじって知っていたから、「ああ、なるほどね。たしかに晁蓋の猪突猛進ぶりは、おかしい。祝家荘の戦いのときは、あれだけ後方にいた晁蓋が、なぜ曽頭市には突っこむかね?」と、やや入れ知恵の助けを借りながら、思ったのでした。
そして、案の定、晁蓋は片づきました。
総じて『水滸伝』は七十回以後は、集団戦のシーンが多くなり、退屈になるという。しかし、七十回以前でも、やや大がかりな戦いが発生する。官軍との戦いを除けば、今回、とりあげた祝家荘と曽頭市である。
その二回の戦闘が、物語の構成において、無意味に入りこんでいるはずがない。恐らく、集団戦を描くことが、それほど得意でもない(必要性も感じていない)原初の『水滸伝』において、集団戦を描くには、やむをえない事情があった。
祝家荘は、『水滸戯』のなかに記述があるのだから、やはり戦わなければならない。扈三娘という景品をつけることで、盛り上げることにした。
曽頭市は、晁蓋の死という結末にむけて、なりふりかまわず、まっしぐら。
物語の外的なニーズを把握しておけば、ふたつの戦いを、退屈することなく読み、かつ描けるのではないかと思うのです。