水滸伝訓読:第2回(1/7)

◆封印の由来がわかる

住持真人 洪太尉に説く、
「太尉 知らず、此の殿の中、祖老天師の洞玄真人 法符を傳下し、囑付して道ふ、
『此の殿の内に、鎮鎖するは、三十六員の天罡星、七十二座の地煞星なり。共に一百八の魔君、裏面に在り。上に石碑を立て、龍章・鳳篆の天符を鑿ち、鎮むること此に在り。若しまた他を放ちて世に出でしめば、必ず下方〈地上〉の生霊を悩まさん』と。
今 太尉 他を放ちて走げしむ。いかでか是れ好からん」
詩有りて證を為す。……

洪太尉 聽き罷はり、渾身の冷汗、捉顫して住まず。
急急に行李を收拾し、從人を引き、山を下りて京に回る。真人 並びに道衆 官を送り、已に罷はりて、自ら宮内に回り、殿宇を修整し、石碑を起豎す。

◆天子が報告を受ける

洪太尉 途中に在り、從人に分付し、妖魔を走がしむるの一節、外人に説くことを休からしむ。天子の知りて責めらるを恐る。
路に話すこと無く、星夜 回りて京師に至る。
汴梁城に進み、人の説く所を聞くに、
「天師 東京の禁院に在り、七昼夜の好事を做す。普〈あまね〉く符籙を施し、災病を禳救す。瘟疫 盡く消え、軍民 安泰たり。天師は朝を辭し、鶴に乘りて雲を駕し、龍虎山に回れり」と。

洪太尉 次日の早朝、天子に見え、奏して説ふ、
「天師 鶴に乘り、雲を駕し、先に京師に到る。臣らは驛站す〈馬を乗り継ぐ〉。纔づかに此に到るを得たり」と。
仁宗 准奏し、洪信に賞賜し、復た舊職に還す。

◆しばらくの平穏

後に仁宗天子 在位すること共に四十二年、晏駕〈崩御〉す。太子無し。位を、濮安懿王の允讓の子、太宗皇帝の孫に傳ふ。帝號を立てて英宗と曰ふ。在位すること四年、位を、太子の神宗に傳ふ。神宗 在位すること一十八年、位を、太子の哲宗に傳ふ。かの時、天下 盡く皆 太平たり、四方 無事なり。

 

◆高俅が追放される

東京開封府の汴梁宣武軍に、一個の浮浪したる破落戶の子弟に、姓は高、排行は第二、小より家業を成さず、只だ好んで鎗を刺して棒を使ふ。最も好く腳氣毯を踢る〈けまりがうまい〉。
京師の人 口々に、高二と叫ばず、みな他を叫びて「高毬」と做す。後に發跡〈立身〉し、便ち「氣毬」のその字より毛傍を将〈と〉りて、「立人」を添作して、便ち改めて、姓を高、名を俅と作す。
この人 吹彈・歌舞し、刺鎗・使棒し、相撲・頑耍〈曲芸〉、亦た、胡乱〈うろん〉に詩・書・詞・賦を学ぶ。若し、仁・義・禮・智・信・行・忠・良を論ずれば、卻りて會せず。只だ東京の、城裏・城外に在りて、幫閒す〈むだに過ごす〉。

生鐵〈金物屋〉の王員外の兒子を幫〈たす〉けて、銭を、每日、三瓦・両舍、風花・雪月に使はしむ。他の父親に、開封府裏に一紙の文状を告せらる〈告訴された〉。
府尹 高俅を二十脊杖に斷し、迭配して界より出し、發放す。東京の城裏の人民に、他〈高俅〉を容れて家に在き、宿食せしむるを許さず。
高俅 奈何ともするに計なく、只だ得たり、淮西の臨淮州に来り、賭坊を開くの間漢に投奔す。柳大郎、名は柳世權と喚ぶ。他 平生より專ら好んで客を惜み〈愛し〉、閒人を養ひ、四方の干隔なる澇漢子を招納す。
高俅 柳大郎の家に投托して、一住すること三年なり。

◆高俅が都にもどり、董氏の家にくる

哲宗天子 南郊に拜し、風は調ひ、雨は順なるを感得するに因り、寬恩を放ち、天下を大赦す。
かの高俅 臨淮州に在り、罪犯を赦宥せられ、思量して東京に回らんとす。
この柳世權なるもの、東京城裏の金梁橋下に生藥鋪を開きたる董將士と親戚なり。一封の書札を寫し、さの人事・盤纏〈小銭〉を收拾して、高俅を發して東京に回す。董將士の家に投奔して、過活す。

高俅 柳大郎に辭して、包裹を背ひ、臨淮州を離れ、回りて東京に到る。逕〈ただ〉ちに金梁橋下の董生藥家に來り、この封信を下す〈届ける〉。
董將士 高俅を一見し、柳世權の書を看て、自ら肚裏に尋思〈思案〉して道ふ、
「この高俅、我が家に、如何ぞ他を安んじ得ん。若し志誠・老實の人ならば、他を容れて家に出入せしむ可し。また孩兒らをして、さの好〈学問〉を学ばしむ可し。
〈しかし〉他は幫閒の破落戶なり。信行なきの人なり。亦 且つ過犯有り。斷配されてるの人、舊性 必ず肯へて改めじ。若し家中に留むれば、孩兒らの学ばざるを惹かん。
〈しかし〉待して他を收留せずんば、又 柳大郎の麵皮を撇すなり」

權〈かり〉に且く歡天・喜地し、相ひ留めて〈高俅を〉家に宿歇せしめ、毎日、酒食・管待して、十數日を住めしむ。
董將士 思量し、路數〈方法〉を出す。一套の衣服を出だし、一封の書簡を寫し、高俅に説ふ、
「小人の家下、螢火の光、人を照せども亮らかならず。恐らくは後に足下を誤らしめん。我 足下を、小蘇學士の處に轉薦せん。久後 また身を出すことを得ん。足下の意内 如何や」
高俅 大喜し、董將士に謝す。

◆高俅が学士府内にゆく

董將士 この人をして書簡を將著し、高俅を引領し〈連れて〉、徑ちに學士の府内に到る。門吏 轉報す。小蘇學士、出でて高俅を見て、書を看て、高俅は原〈もと〉より幫閒の浮浪の人なるを知り、心下に想ふ、
「我 ここに、如何ぞ他を安んじ得ん。如かず、かの人情を做して、他を薦めて駙馬の王晉卿の府裏に去らしめ、この親隨と做らしめんには。人 みな他を喚びて、『小王都太尉』と做す。他は便ち、かような人を喜歡す」

董將士が書札を回し、高俅を府裏に留むること一夜。
次日、一封の書呈を寫き、この幹人〈召使〉をして、高俅をかの小王都太尉の處に送る。

◆端王(のちの徽宗)の登場

〈高俅が身を寄せた〉この太尉は、乃ち哲宗皇帝の妹夫にして、神宗皇帝の駙馬なり。他 風流の人物を喜愛し、正にかような人を用ふ。小蘇學士 人を差はし書を持して、高俅を送り、拜見せしむるといふを一見し、便ち喜ぶ。隨ちに回書を寫し、高俅を府內に收留し、親隨と做す。
此より高俅 遭際〈運が開け〉し、王都尉の府中に在りて出入す。家人の一般と同〈ひと〉し。古より道ふ、
「日に遠ければ日に疏く、日に親しければ日に近し」

忽〈たちま〉ち一日、小王都太尉、生辰を慶誕し、府中に分付して、筵宴を安排す。專ら小舅端王を請ず。
この端王 乃ち神宗天子の第十一子、哲宗皇帝の御弟なり。現に東駕を掌る。排號は九大王、これ聰明・俊俏〈粋なる〉たる人物なり。この浮浪子弟の門風幫閒の事も、一般に曉ること無く、一般に會せざる無く、更に一般の愛せざるも無し。即ち、琴棋・書画の如きも、通ぜざる所なし。毯を踢り、彈を打ち、竹を品し、絲を調し、吹彈して歌舞するは、自ら必ずしも説かず〈説くまでもない〉。
當日、王都尉の府中に、筵宴を准備し、水陸 俱備す。……

◆端王が、王都尉の細工品に目をとめる

この端王、王都尉の府中に来たりて、宴に赴く。都尉 席を設け、端王に請ひて居中に坐定せしむ。都尉 席を對ひて相陪す。酒は數杯を進め、食は兩套〈ふたたて〉を供す。
かの端王 身を起して手を浄〈きよ〉め、偶々書院裏に来たりて少歇〈休憩〉す。猛ち〈ふと〉見る、書案上に一對の、羊脂玉の碾成せる鎮紙の獅子の、極めて好く細巧・玲瓏なるを。端王 獅子を拿〈と〉り、手より落かず、看ること一回、「好し」と道ふ。

王都尉 端王の心愛するを見て、便ち説ふ、
「再に一個の玉龍の筆架あり。またこの匠人の手に做せるものなり。手頭〈手許に〉に在らず。明日、取り来たり、一併に相ひ送らん」
端王 大喜して道ふ、
「深く厚意を謝す。想ふに、かの筆架、必ず更に妙ならん」
王都尉 道ふ、
「明日 取り出し、送りて宮中に至り、便ち見ん」
端王 又 謝す。両個 舊に依りて席に入り、飲宴して暮に至り、醉を盡して方〈まさ〉に散ず。端王 相ひ別れ、宮に回る。